夏休みを前にしたこの時期、学校では保護者を交えた三者目段が活発に行われています。
私は決してこれを批判する立場ではないですが、保護者或いは生徒本人の事後談をきくにつけ、その印象の差異にはいつも驚かされます。
何がか?
教師によって異なる面談の運び具合やその中身それ自体に密度の濃さの違いに、です。
とはいっても教師たちも必ずしもこの種の話についての特別の訓練を受けてきたわけではないので、そこに無条件の高レベルのものを求めることにもそもそもの無理があるかもしれません。
言い換えれば、「学校に何かをしてもらう」意識ばかりが先に立っての面談であっては駄目なわけで、生徒自ら(保護者にすれば、「自分の子どもが」)主体的に何をどうしていけばこれからの評価が上がり、ひいては成績が上がり、そし志望する学校に合格できるかを自ら獲得するかについて確認し、向上に受けて再出発するための基点とすべく臨むのが面談の意味であると思います。
また、そうであるならば、生徒や保護者の側にもしっかりと確立された自己観察がそこには必要ですし、それがなければ教師の側にすれば、言葉は悪いですが「自分のことは棚にあげて 」としかその目には映らないかもしれません。
ここでいう「自己観察」の中には、過去から今に至るまでのと本人の言動の一貫性の有無や、家庭の方針の揺れ動きなどいったことも含まれます。
つい3ヶ月前に言っていたことと、今とではそのいう事に大きな違いがあったりした場合、これが進路に関することであったなら、そこに明確な理由付けがないのであれば、学校側としてもどうしようもないのではないでしょうか。
いずれにしても進路に関することは面談を含め 、軽挙妄動は避けたいものです。これが結論。