マスターKです。
これが性分なのか、毎日バタバタと動き回っています。昔読んだ太宰治の短編の「饗応夫人」のように「くるくると」と表現したほうがより正しいかもしれません。そうして動き回りながら考え事をしていると、頭に中に余念が入り込むスキが段々と小さく狭くなってきて、ある種のトランス状態と言いますか、澄んだ感覚にもなってきて、考えが整理されたり突然「これか!」と閃くように答えの一つが見つけられたりします。
ジョン・レノンが書いた本の中に「曲作りの際に、突然頭に浮かんでくるメロディや歌詞のときは、その歌は大抵よくできた完成品になるが、そうでないときに無理に作った歌は失敗が多い」という趣旨の言葉があります。前者の一つにAcross the universeがありますし、後者の一つにはIts only loveがあります。
同じBeatlesのジョージ・ハリスンも、「曲は空中にあって、僕らはそれを感知して歌に仕上げるだけ」と言っています。多分ジョンが言うことの別バージョンなのだろうと思います。
もうお亡くなりになってしまいましたが、無能唱元さんという思想家の教えの主体は、阿羅耶識という名の、無意識を活用して閃きの一種を得ることの有用性を説くものです。これなども似たような考え方であると私は思っています。
アルキメデスが後にアルクメデスの原理と呼ばれるものを閃いたのは、彼がこれをストイックに思いながら湯船に浸かっているときで、彼はこれが頭にうかび出た時は嬉しさのあまり、裸のまま叫びながら街の通りを走り回ったといいます。今なら即逮捕ですよね、これは。
ものすごく矮小な話ですが、これでもか、これでもかとストイックに勉強していて、ある瞬間、級に視界がひらけたように、それまで分からなかった考え方の組み立てが見えてきたり、一気に正解まで到達できたりするという、そんな経験をしたことがあります。そんなときは、きっとその種の経験の何万分の一かの追体験をしたのではないかと思います。