最近、色々な集まりに出て多様な話を聞いたり、或いは様々な本を読んだりするにつけ、子供たちに勉強させるということには、実に多くのアプローチがあると同時に、そこには揺らぐことの無い基本形があるのだなあと感じています。
それは、常にベースに親、或いは周囲の大人たちの指導権と、それに基づいた方針があるべきだということです。
先日もここで書きましたが、長いこと学習塾をやっていると、自然に見えてくることがあります。
それは、成功する子とそうでない子のパターンです。前者には前者だけのいろんなパターンがあって、それらはいずれも成功への軌跡となりますが、後者の場合には、あまり多くのパターンがあるようには思えません。
そこには、ごく限られた「失敗の型」が見て取れます。
そのひとつが、冒頭の「ベースに親、或いは周囲の大人たちの指導権」の欠如です。
最近の日本は、大人だか子供だか分からない人が多くなっていますので、一概には言えない部分がありますが、それでも尚言えること、それが「しっかりとした大人の指導の下に子供に接すること」ではないでしょうか。
勉強は、その中の一部分に過ぎませんが、これ抜きに、いくら子供の意志に任せて子供主体でやらせても、その過程ではほぼ確実に方向性や適切な手段の選択を誤ってしまうものです。
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