マスターKです。
田村先生に変わるのもあと少し。今日は私が書きます。
長年(実に23年!)学習塾をやってきて、様々な家庭の様々な子供が、まさに様々な形ややり方で勉強に取り組む姿を見てきました。そこでよく考えたことは、これから新たに取り組む子どもたちにとって、これらの何をどのように参考にしたら利益の再現〜利益の拡大再生産に結び付けられるだろうかということです。これは、切ってみれば勉強面における生活の知恵を追うことでもあります。
というのは、同じ学校の同じ先生の下、同じ教科を学習し同じテストを受けるという共通部分の多い場面で、自分以外の子供達はどこでこれがうまく行っているのか、反対にどこが上手く行っていないのかを冷静に見つめて自分の場合との違いを見直し、そして今後に生かしていくというのは、十分理に叶った手法だからです。
今、共通部分の多い場面で、と書きました。
確かに共通部分ですが、しかしここで勉強していく子供達一人ひとりの個性、育つ環境、或いは親からの遺伝的資質までがすべて異なりますので、そうしたことを十分に加味して対処していくことがここでは大切です。
少し前、とある保護者の一人が、あまりに怠惰な子供の日常を見て腹立たしげに「なんで俺にできてこいつにできにのかわからん。俺はできた」と方言してみせたことがありましたが、この方は少なからず誤解しているか、もしくは目の前の現実を全く見ていません。
この方が「俺はできた」と誇らしげに言ってのけるレベルがどの程度のものなのかはわかりませんが、ここで100歩譲って確かにこの方が昔勉強をして「出来た」のであっても、だから子供も出来て当たり前、などと決めつけることがそもそもおかしい。
私は上の行で「遺伝的資質」という言葉を用いましたが、私は「親が出来たのなら子供も自動的にできる」などとは決して思いませんし、思わないから言いもしません。ですが、この方は、少なくともこの点において大きく間違えています。むしろ子供に対してそういうスタンスで臨むこと自体が、あまり好ましいやり方ではないと思います。そういう意味で、私はこれをマイナスの教訓、良くない例と捉えています。
次に続く
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