大阪で暫く単身赴任していた友人が、「大阪じゃこれが当たり前」とでも言いたげに「いくらですか?」の話を聞かせてくれました。彼自身は関東人であって、その「いくら?」の件に関しては、彼の友人の話です。
彼がその友人君に連れ添って、スーツを買いに行くのに付き合ったときのことです。
店の人が懇切丁寧に服の説明をしてくれて、しかしその友人君は、いわゆる廉価な「吊るし」の服を買おうと、そのコーナーで服を物色していて、その中の或るものにしようと決めた時、店員がまたその服について丁寧に説明を始めたそうです。そういう「吊るし」のコーナーは初めから大きく値段の表示がされてあって、まあいわば極めて分かりやすい作りにはなっています。
それなのに友人君は言ったそうです。
「で、いくら?」
店の人も単身赴任中の私の友人も、一瞬「?」となったそうです。
「いくら」もなにも、そこには既に値札が明確に表示されている。
でも、すぐに店員も単身赴任の友も理解しました。
「で、いくら?」は、大阪人にとっては極めて当たり前の台詞であって、彼らにとって「値札?正札?それがなんやねん」ということなのであって、本当の値付けというのはそこからの駆け引き次第ということなのでしょう。
塾への問い合わせの中で多用される「いくら?」も、もしかしたらそういう考えから発せられる台詞なのかもしれません。関東人も、今や大阪人化しているということなのでしょうか。
もう一つ。
私がかつて勤めていた損保で、ある年に私は大阪出身の上司の下で仕事をしていました。
何かの話の最中に、大阪では損害率が他の都市よりも高いんや、などと、まるでそれが「どや、すごいやろ」みたいなニュアンスでその上司の口から発せられました。
彼が言う損害率とは、この場合、「自動車事故に関わって支払われる保険金の額の多さ」なのですが、お分かりの通り、保険金というのは、ちゃんとした査定を経た上で、定められた支払いの規定の下で支払われます。
通常、自動車事故が遭った場合、加害者の代わりに保険会社が前面に出て、被害者と保険金支払いその他、事故の後処理の交渉を行い、そしてこれを支払って一件落着となる筈なのですが、上司曰く、それは大阪以外の都市での話であって、かの地では、そこからまだ続きがあるのだそうです。
その地で長く勤務していたその上司が言うには、そうして保険金が支払われるか、または既に支払われた後で、多くの被害者から、加害者に(←保険会社ではない)こう言ってくるのだとか。
「保険金はそれでいい。だがな、保険は保険、誠意は誠意や。で、あんたとこの誠意はどう示してくれるのや?」
その誠意をどのような形でこれ(保険金とは別の誠意)をも保険会社が負担するシステムやメカニズムなのか、そもそもそんなシステムがあるのかないのか、大阪で勤務した経験のない私にはいまだによくわかりません。もしかしたら、大阪人の彼のいわば自虐ネタの一種であったのかもしれません。
でも、この話を他の少なからぬ大阪人も、「それの何か問題でも?」的な顔で聞いていたことを思えば、これは決してフィクションではなく、彼らの常識なんだろうな、とも思えます。恐るべし大阪人。
塾への問い合わせの場で聞かれる「いくら?」には、或いはこういう要素も含まれているのではないかと思ったりもします。
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