アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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闇兵タモガミくんの欺瞞と時代錯誤

2009年08月21日 20時49分41秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 そうそう田母神の事ばかりに懸かりきりにもなっていられないので、もうこの辺でこの話題は一旦お開きにしようと思っていた矢先に、この御仁がまたやってくれましたので、懸かりきりついでに、この話題にも言及しておく事にします。

 この御仁が起こしたトラブルというのは、次の様な内容です。8月15日の終戦記念日に靖国神社で、またいつもの調子で「あの戦争は正しかったのだ、日本はアジアを白人の植民地支配から解放したのだ」とぶち上げた直後に、靖国神社を訪問中のカナダ人観光客から、「そんな事を言っていたらドイツでは逮捕されますよ」と言われたのに逆上して、「何で逮捕されるの?」と息巻き、周囲を取り囲んでいた右翼も、この外人観光客に向かって一斉に、聞くに堪えない罵声を浴びせかけ、押し止めて小突くなどの暴行を加えました。そして警察沙汰になったものの、何と暴行を加えた右翼ではなく、被害者の外国人の方が連行されました。
 詳しくは下記のブログをご覧下さい。ここではもう一々リンクを張ったりはしませんが、暴行時の動画もばっちりアップされています。奴ら右翼はバカだから、「俺たちはこんなに強いんだ」と粋がって動画をアップしたのでしょうが、逆にそれで「先に手を出したのはどちらか」が、白日の下に曝け出される結果となりました。しかも、それだけでなく、外人観光客による抗議の発端ともなった田母神の挨拶の方も、当初はネットの動画サイトに得意げにアップされてはいたものの、却って世論の批判に晒される破目になり、こちらは残念ながら非公開とされてしまいました(この後、残りの暴行場面の動画の方も恣意的に改竄される)。

・田母神俊雄演説に平穏に抗議した非暴力の外国人に警察と右翼が圧力をかけた事件(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1368.html
・<緊急報告>日本の恥!国辱画像!(たかしズム「ネトウヨ、バカウヨ、ネット右翼、恥さらし、売国奴、日本の恥」を語るための、たかしのブログ)
 http://takashichan.seesaa.net/article/125889927.html
・靖国神社での田母神の演説に抗議したカナダ人が事情聴取を受ける(カナダde日本語)
 http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-1775.html

 もう何をか況やですね。8月6日の原爆忌当日に、わざわざ被爆地・広島にまで乗り込んで、「核武装推進」「被爆者はゴネ得」講演を行い、被爆者を挑発するが如き挙に及んだ御仁が、今更何を言えた義理かと思いますね。自分も同じ事をされただけでしょうが。それが、8月15日終戦記念日の靖国神社では、当の自分たちが「侵略戦争美化」思想を批判されただけで、ここまで逆上してしまうとは。「他人の事は論うくせに、自分たちの事になると超大甘」というこの御仁の本質が、図らずも露呈してしまいました。
 右翼が当該外国人に放った「おい、ここを何処だと思っているんだ!」という罵倒は、同時に被爆者が田母神たちに対して抱く思いでもあるという事だけは、この際はっきりと言っておきます。

 そして、事件の発端ともなった、「あの戦争は正しかったのだ、日本はアジアを白人の植民地支配から解放したのだ」云々の田母神史観についても、当ブログでは既に何度も批判してきましたが、大事な内容でもあるので、ここでも改めて再確認しておきます。
 私は、以前のエントリーで、真鍋昌平・原作のヤミ金漫画「闇金ウシジマくん」を引き合いに出して、田母神のバックボーンとなっている安倍・靖国派や「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史観が、「この漫画主人公の闇成金の若者のそれと瓜二つである」と書きました。当該漫画シリーズ第1巻「奴隷くん」の中の、闇金融会社カウカウ・ファイナンスの新入社員・高田が、債務者のパチンコ・ジャンキー主婦・加山を風俗に売り飛ばそうとするのを躊躇した時に、社長の丑嶋(うしじま)が高田をどやしつける場面に、それがはっきりと分かる形で示されています(下記画像を上から順に見る)。
 
 
 
 
 

 この、「強い国は弱い国から奪い、資本家は労働者から奪い、・・・世の中は奪い合いだ。」「奪(と)るか奪られるかなら、俺は奪る方を選ぶ!」という、闇金融社長・丑嶋の上記の言葉こそが、田母神の歴史観でもあるのです。そうして、奴隷が奴隷主に取って替わろうとするだけで、奴隷制度自体には決して手を付けない身勝手さを、「奪られるよりも奪る方を選ぶ」という言い草で、格好付けて誤魔化す。それが田母神史観の本質です。
 しかし、そう言うと必ず返って来るのが、「当時、日本が脱亜入欧・富国強兵を掲げて、台湾・朝鮮・満州・南洋を配下に納めなければ、日本も欧米の植民地になっていたかも知れなかった」「それを現代の反帝国主義の価値観で裁断するとは、以ての外だ」という反論ですが、それに対しても一言。
 確かに、明治から大正にかけての一時期に、後に革命家となる若き日の孫文や周恩来などが、そんな「明治維新後の近代日本」に憧れて、我が国に留学・亡命していたのは事実です。しかし、その彼らとて、日本が急速に帝国主義化するのを見て取って、次第に反帝・反植民地主義の立場を鮮明にしていきました。ネルーが、いみじくも下記に悟った様に。

「日本のロシアに対する勝利(注:日露戦争を指す)がどれほどアジアの諸国民を喜ばせ小躍りさせたかをわれわれはみた。ところが、その直後の成果は少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたにすぎなかった。そのにがい結果を、まず最初になめたのは朝鮮であった」(ジャワーハルラール・ネルー著「父が子に語る世界歴史」より)
 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20070829
 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080819/1219157838

 以上の例からも分かる様に、既に当時から(←ここ重要!)、アジアの先進的な指導者や民衆は、上記の日本の帝国主義的本質を、とっくに見破っていたのです。そして、それを踏まえた上で、西欧・日本の2つの帝国主義を共に打倒して、真の独立を勝ち取るべく、孫文・毛沢東・ネルー・ホーチミン・スカルノといった人たちが、既に活動を開始していたのです。
 戦前日本の悲劇は、その様なアジア諸国の変化や民族自決への思いを完全に読み違え、征韓論の段階から全然抜け出せず、「進んだ日本が遅れたアジアをいつまでも意のままに支配出来る」と思い込んでいた所にこそ在ったのです。

<関連年表>
 1919年 三・一独立運動(朝鮮)、五・四運動(中国)
 1920年代以降 中国共産党結成、第一次国共合作、北伐開始(中国)、
 インド国民会議派の反英独立運動(ガンジー・ネルーらの非暴力・不服従運動、塩の行進)、
 ホーチミンの反仏独立運動(インドシナ共産党結成)、スカルノの反蘭独立運動(インドネシア国民党結成)

 また、その「井の中の蛙」ぶりは、民主主義の成熟度においても、一層際立っていました。第一次大戦を経て、ロシアやドイツの帝政が革命によって倒され、普通選挙権や婦人参政権、8時間労働制や生存権、戦争違法化などの流れが、次第に世界の大勢となりつつあった時代に、大国の中では唯一日本だけが、依然として絶対天皇制(天皇主権)のまま、国民は不敬罪と治安維持法によって体制批判を抑えつけられ、ひたすらお国の為に死ぬ事を強要されたのです。
 そうして、「兵の命は鴻毛よりも軽し」とばかりに、人間がまるで国家の消耗品の如く扱われ、女性がまるで男性の付属物であるかの様に扱われる中で、無謀な戦争に巻き込まれ、アジアの民衆に多大な厄災をもたらした末に、自滅していったのです。
 アジア諸国の独立も、日本の民主化も、その国内外の犠牲の上に立って、初めて築かれたのだという事ぐらいは、たとえどんな歴史観の持ち主であろうとも、最低限きちんと抑えておくべき「一般常識」です。
コメント (1)
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