例の8月6日広島での田母神「核武装推進」講演では、「被爆者からの手紙」まで演出しての、サイレント・マジョリティー(声なき多数派)の自作自演劇が行われました。まあ私としては、幾ら演出を凝らした所で、こんな手紙の内容では、却って「わざとらしさ」だけが目に付き、逆効果ではなかったのかという気がするのですが。しかし、たとえこんな手紙でも、当事者(被爆者)性に幻惑されて騙される人も無きにしも非ずなので、以下その手紙の記述も引用して、気付いた範囲で反論しておきます。
(引用開始)
主人を含めて、被爆遺族の誰と誰に 秋葉市長が聞いて、広島の声として、田母神さんの講演会を阻止されたのかが、まず聞いてみたいと思います。
私どもには 何のお問い合わせもありませんでした。
被爆者や遺族の悲しみを増す恐れがある」というのが「広島市の立場」とのことですが、どのような根拠でこのような空論を展開されているのでしょうか。
ある特定の思想にとりつかれている被爆者の方々の声だけを代弁しておられるとしか考えられません。
また広島県原爆被害者団体協議会など7団体にはたして被爆者および遺族の何%が加入し、そのうちの何%にこのたびのことに対する意見を求めて発表しているのか、それも疑問です。
(引用終了)
「核武装」なる「特定の思想にとりつかれている」という意味では、田母神一派も同じではないか?被団協の組織率も云々しているが、では原爆症認定訴訟にも被爆者救援にも一切取り組まず、被団協の揚げ足を取るしか能の無い自分たちは、一体何%の被爆者を組織しているのか?
(引用開始)
自分の地位と権力を利用して、ある特定の団体や個人を攻撃したり、また逆に応援したりすることが、市長の立場でしていいはずはありません。
(引用終了)
これも、空幕長や幕僚学校長の地位を利用して、自衛隊員に自分たちの歴史観・国家観だけを一方的に押し付けている(隊員には他の歴史観・国家観も学べるだけの選択の余地は無い)田母神一派は、一体どうなのか?
(引用開始)
さも広島市民は全員が日本核武装に反対しているかのような、いや、核武装論議にすら反対しているかような抗議をしていると聞いています。
しかし、私は違います。
私の祖父は被爆者で、つまり、私は被爆者の遺族なのですが、日本核武装に賛成しています。
もし、あのときに日本が核武装していたら、祖父の頭上で原子爆弾が炸裂することはなかった…少なくとも可能性は低くなっていたと思うからです。
(引用終了)
被爆者も色々。「もう戦争はコリゴリだ」という人だけでなく、「今度は核で米国に敵討ちを」という人がいたのは事実だ。しかし、単に復仇心のレベルに止まるには、被爆の惨状は余りにも酷すぎた。その為、当初は復仇感情に凝り固まっていた被爆者も、次第にそんなレベルから脱却して、やがて核廃絶や世界平和を希求する立場に、徐々に変わってきたのだ。
勿論、その立場に変わるまでには長い年月を要した。まず、米軍占領下で被爆の実相や反核運動が隠蔽・弾圧される中で、被爆者に対する差別が蔓延っていた。そして同じ被爆者の中でも、未解放・在日朝鮮人の被爆者に対する差別が罷り通っていた。
それが変わる契機となったのが、1954年のビキニ事件だ。太平洋・ビキニ環礁での米国核実験で、第五福竜丸を初めとする多くの日本漁船が「死の灰」を浴び、原子マグロ禍や放射能雨被害が全国に拡大した。それに対して、原水禁署名運動が燎原の火の如く広がり、その後の原水禁世界大会開催や被団協結成に結びついた。その中で、当初は「ざまあみろ、これでやっと被爆者の苦しみが分かっただろう」と心の中で思っていた一部の被爆者も、原水禁運動の未曾有の広がりの中で、次第に「もう二度とこんな過ちを繰り返してはいけない」という見地に至り、単に自分たちだけでなく、ネバダやマーシャル諸島、旧ソ連・セミパラチンスクの被爆者とも連帯する中で、核廃絶を目指すようになったのだ。
それでも、依然として「米国への敵討ち」や「核武装」論に固執する人々も、被爆者の中には、まだいるかも知れない。しかし、それが決して被爆者の多数派なんかではない事は、以上の様な被団協の歴史からも自ずと明らかだ。
(引用開始)
これまで、私は他者と核保有を含む安全保障の議論や主張をなす時には、
「被爆」との関わりを一切表明しないようにしていました。
理由は、それを前面に出すことで、相手に心理的影響を与え、反論をたじろがせる効果があるからです。
世間で喧しい「被爆者団体」にはこのような斟酌がありません。
「被爆者」であることを特権的に利用しているようにも見受けられます。
そして、その特権をかさに着た行動が、今回の「中止要請」や「抗議」の正体そのものなのです。
(引用終了)
まるで、田母神一派だけはその様な「斟酌」を持ち合わせているかの様な物言いだ。しかし、その田母神一派や後援者の日本会議が、NHKの従軍慰安婦特集番組や「アジアの一等国」特集番組に対してしてきた事は、一体何なのか?田原総一郎の「横田めぐみ死亡」発言をとらまえての論難は、一体何なのか?旧軍人・軍属や北朝鮮拉致被害者家族としての特権をかさに着ての「抗議」ではないのか。秋葉市長の自粛要請を言論弾圧というのであれば、これも言論弾圧ではないのか。それとも、「言論の自由は自分たちにだけ在る」とでも言うのか。
(引用開始)
なにしろ、秋葉市長の「平和宣言」なるものが、米国をターゲットにして、
北の金正日には大甘の煽動文書であることは、以前より産経紙や読売紙に厳しく批判されてきた代物ですから。
(引用終了)
残念ながら、かつて核廃絶運動の一部に「米国の核は汚いがソ連の核は清い」というダブル・スタンダードがあった事は確かだ。それが原因の一つとなって、核廃絶運動が原水協と原水禁に分裂し、過去の経過から、今も統一を回復出来ていない。
しかし、もはや両者とも、そんな立場はとっくに乗り越えているのも事実だ。旧ソ連核被爆者の救援にも取り組んでいるし、中国・北朝鮮核実験に抗議の座り込みも行っている。だから、今や原水禁世界大会には、かつての様なNGOだけでなく、国連総会議長や各国政府要人も積極的に参加するようになったのだ。
翻って、田母神一派の集会には、一体誰が参加しているのか。動員組の街宣右翼・極右政治家・名うての反共文化人と、それに影響されたネットウヨクだけではないか。
(引用開始)
今回の秋葉市長や「被団協」の行為は「卑怯」の一言に尽きると考えます。
昔、新潟市の「憲法記念の日講演会」での故上坂冬子氏が「現行憲法に反対の立場」の故をもって講演拒否された事件、
あるいは、神奈川県三浦市での櫻井よし子氏に対する「慰安婦への "誤った認識 "」を言い立てた某団体の圧力に屈した
三浦市商工会議所が新年経済講演会を中止にした事件がありました。
今回のこの「事件」はそれらより数倍も悪質なものであります。
何故なら、両氏に対する事件では、メディアのいくつかはまだ、その「妨害者」に対する正面からの批判を掲げることができました。
しかし、相手が「被爆者」または「被団協」であれば、産経紙ですら、正面からの批判は避けることでしょう。
そのような空気はメディアの自縄自縛であり、所謂「平和 (その実反日ないし反国家)教育」に他なりません。
(引用終了)
これも前述した通り。ここで一々上記の真偽について詮索している余裕はないが、仮にそこに幾ばくかの事実があったとしても、それで以って田母神一派の免罪符とは一切ならない。
自分たちは権力をかさに着て、日教組弾圧を堂々と公言したり(中山成彬)、右翼御用メディアの産経も使って、今も東京・三鷹や富山などで、もっと露骨な事をやっているではないか。
(引用開始)
今の被団協は「少数派」が「ボルシェビキ(多数派)」を名乗って国家を纂奪した旧ソ連の共産党と同じことを行っているのです。
(引用終了)
上記の「被団協」を「田母神一派=日本会議・維新政党新風・新しい歴史教科書をつくる会etc」、「ボルシェビキ(多数派)」を「ネットウヨク(多数派w)」、「旧ソ連の共産党」を「現日本の自民党・保守勢力」と置き換えれば、そっくりそのまま田母神一派に当てはまる。しかも、それ以前の問題として、そもそも普通の被爆者が、被爆体験もそっちのけに、いきなりこんな「ボルシェビキ」云々なぞという物言いをするだろうか。
(引用開始)
なぜなら、長崎での児童生徒達の親のかなりの割合が被爆者であることなど、私の学童生徒であった当時の常識だったからです。
しかも、変に誇張したような病気や遺伝が広範にあるかの報道やドラマはあって、実生活の現実において存在しなかった。
被爆二世達の親も普通に生き、普通に旅立っていった。
同級の二世達は普通に結婚をし、子をなし、今も普通に生きている。
差別など私達の世代では微塵も感じたことはなかったのです。
少数の不幸な障害者がいたことは事実としても、不幸なるものの支援の対象とは見ても、決して政治化することはなかった。
これが大きく変わって、被爆者の子が結婚で疎んじられ、遺伝的影響で相当の非健常者の子が生まれる、
などの風評がなぜ広がったのか、疫学的には非被爆者と有意差のない、非健常率が特別に切り出されてきたのか、
私見ですが、おそらくあの「夢千代日記」ではないだろうか、と思います。
(引用終了)
そんなに「疫学的には非被爆者と有意差のない」のなら、何故被爆者が、自らの生存と尊厳を掛け、痛めつけられた身体に自ら鞭打ってまで、連綿と原爆症認定訴訟に踏み切り、悉く勝訴を勝ち取り、あの麻生自民党にその非を認めさせる所まで来れたのか。
この手紙は、被爆者の名を騙りながら、被団協やそこに結集した被爆者に対して、「広島の心と名をかたる語(騙)り屋」とまで罵っているが、それはそっくり自分たちに向けられた言葉ではないか。
こんな低次元の「寝た子を起こすな」論まで用いて、今や命脈尽こうとする自民党政府の応援団を買って出る、それこそが、この輩の本当の役回りなのだ。
この「被爆者の手紙」なるものの内容に対しては、他にも言いたい事は多々あれども、言い出せばキリが無いので、もうこの辺にしておく。但し、最低限次の事だけは指摘しておく。
この輩は、よりによって8月6日に広島で、この様な核武装推進の講演を行い、広島市長の延期要請に対しても、「特定イデオロギーに支配されている」と毒づいている。まるで、それさえ口にすれば、悉く相手を黙らせられると思っているかの様に。
しかし、それは万能薬でもなんでもない。凡そ霞を食って生きている仙人でもない限り、人は政治とは無縁では在り得ず、そこには何らかのイデオロギーが絡む。完全な厳正中立、無色透明なぞ在り得ない。若し、この程度の延期要請ですら「特定イデオロギーに支配されている」と言われるのであれば、橋下や東国原や中田が、首長の地位を利用して「地方分権」通信簿作りの名目でやっている、隠れ「自民党ヨイショ」の出来レースは一体どうなるのか。こんな露骨な世論誘導が堂々とまかり通る一方で、ささやかな延期要請すら認められないというのでは、もはやダブル・スタンダード以外の何物でもないだろう。
その様な各人の持つイデオロギー性を、如何に調整するかが問題なのだ。こんな講演なぞ、何も8月6日にしなくても、いつでも出来る訳だろう。それを、こんな「アウシュビッツ強制収容所跡でのネオナチの集会開催」にも準える行為を、「言論の自由」の一語で以って認められるであろうか。「DV被害者の前でレイプの自由を説く」が如き行為が、認められるであろうか。否である。「言論の自由」云々以前に、「人として言って良い事と悪い事」があるだろう。相手の人権・人格・尊厳を踏みにじり貶める様な言説が、許されて良い筈がない。私は田母神にそれを問うているのだ。
また、この輩は、一端の愛国者・憂国の志士・ナショナリストを気取りながら、米国が大義も無く一方的に開始したイラク戦争に臆面も無く加担し、イラク派兵違憲判決にも「そんなの関係ねぇ」と嘯きながら、米国と一緒になってイラク人民の民族自決権を踏みにじっている。それの一体何処が愛国者か。
その動機が、単に米国に追従して目先の権益確保を狙ってのものだとしたら、それは、時流に阿る機会主義者による、エコノミック・アニマル丸出しの日本人エゴでしかない。イラク人記者から靴を投げつけられたブッシュと同じ目に遭わされたとしても当然だ。
真のナショナリスト・愛国者とは、「売国奴」の汚名をかぶせられるのも覚悟の上で、大義のないイラク戦争を命がけで阻止しようとした英国人スパイ「キャサリン・ガン」や、国防族としての信念から、専守防衛を逸脱し中東での親日感情の基盤をも掘り崩すイラク派兵に反対した故・箕輪登氏(元・防衛政務次官、自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟原告)の様な人の事を言うのだ。
そして、本来ならば「復讐の鬼」と化しても一向に不思議ではないのに、そんな復讐の呪縛からようやく抜け出せて、世界平和を希求するまでに至った(そこに至るまでには言い知れぬ苦しみも数多く在ったであろう)被爆者に対して、再び「復讐の鬼と化せ」と説く。斯様な田母神・核武装論の底にあるのは、「信じれるのは自分の腕力(武力)だけ」という、疑心暗鬼のニヒリズムだけだ。そうして、やっと人間性を取り戻せた被爆者を、再び鬼畜のレベルに引き摺り下ろす。その様な人間蔑視の行き着く先は、究極の戦争・差別社会でしかない。
今年の原水禁世界大会のスローガンは、原水協系が「核兵器のない平和で公正な世界を」、原水禁系が「核も戦争もない平和な21世紀をつくろう!」となっている。どちらも、単に一時の平和なぞではなく、「戦争のない公正な世界」を目指している所に注目して欲しい。それは、平和と人権が不可分一体のものだという事を示している。つまり、平和や核廃絶に反対するという事は、人権をも蔑ろにするという事に他ならない。
そう言うと、好戦派はきっとこう反論するだろう。「誰も戦争なぞ望んでやいない、現実を直視せよと言っているだけだ」と。
嘘つけ!それが大嘘であるのは、好戦派が現実論や核武装論を説く時の、生き生きとした顔や、これ見よがしに滔々と自説に酔いしれる姿を見るだけで充分だ。田母神もそうして「イラク派兵違憲判決そんなの関係ねぇ」と嘯き、被爆者を挑発するだけの為に8月6日のヒロシマに殴りこみに来たではないか。
「弱肉強食こそが世の倣い、核も戦争も差別もない公正な世界なんて在り得ないし、絶対にそんな方向には行かせない」―これが田母神一派の恐らく本音だろう。こういう輩を私は絶対に許しはしない。この様な「平和と人権の敵」に対しては、こちらもプレカリアートとしての全存在をかけて闘っていく。
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