アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

日曜日は普天間・辺野古写真展

2010年12月14日 20時54分45秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな
  

  

 そして然る12月12日の日曜日には、その前の記事でも告知していた、山本英夫さんの写真展「今ココにある普天間・辺野古」に行って来ました。遅くなりましたが、その報告をここで簡単にしておきます。

 普天間・辺野古を初めとした沖縄の基地問題については、既に「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」や「ジュゴン保護キャンペーンセンター」の運動に飛び入り参加していた事もあり、大体のことは知っていたつもりでした。
 しかし、この右上写真にある、今年1月26日に山本さんが普天間基地のフェンス越しに撮影された、飛行誘導灯の柱の向こうにある亀甲墓を見た時には、思わず絶句してしまいました。

 かつて、ここに生まれ育ち、先祖の霊を祀った人たちがいて、それが沖縄戦と戦後の相次ぐ基地拡張によって、その方たちの故郷がフェンスで囲い込まれ、「銃剣とブルドーザー」によって押し潰され、墓参りも出来なくなった事を想うと・・・。
 時折ニュースで、硫黄島の遺骨収集や北方領土の墓参実現の取り組みが取り上げられますが、この人たちも同じではないか・・・。というか、自分も遺族の立場だったら、この現実をどこまで受け入れられるかと思うと・・・。

 基地内には元々幾つか集落があり人々の営みが存在していた事や、それが沖縄戦で焼け野原とされ、更に「銃剣とブルドーザー」によって相次いで米軍基地にされていった事は、それまでも知識としては知っていましたが、それでも、このような生々しい現実を改めて突きつけられると、それを今まで想像だに出来なかった、これまでの自分の浅薄さを、今さらのように思い知らされました。
 しかも、その沖縄の米軍基地は、日本本土における米軍基地縮小の代償として、拡張させられてきたというではないですか。確か、大阪の浜寺公園も、戦後の一時期には米軍キャンプが置かれ、一般住民の立ち入りが制限されていたと聞きます。

 かつては、日本本土にも、沖縄と同様の現実があり、闘いがありました。内灘・砂川の基地闘争然り、横浜のジェット機墜落事故や戦車輸送阻止の闘い然り、「池子の森」を守る闘い然りで。それがいつしか、安保の現実が国民の目から巧妙に隠されるようになり、北朝鮮・中国脅威論がそれに取って代わるようになりました。基地の弊害は今も昔も変わらないにも関わらず。それどころか、橋下徹や菅・仙石のように、基地問題を自身の知名度アップや政権延命に利用する輩まで現れるようになってしまいました。
 そういう意味でも、沖縄の米軍基地問題は、決して沖縄だけの問題なぞではなく、寧ろ我々自身の問題でもあるのだと、つくづく感じさせられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする