龍安寺の『境内のご案内』を参考にすると分かり易いです。
(HPから引用させて頂きました。)
石庭でのんびりしてから方丈や茶室蔵六庵などを見学して、鏡容池を来る時と反対側を歩いて帰路についてしまった。出かける前に今回は基本一人旅ですから、ガイドブックを二冊買って旅の備えたのに見なければ何の役にもたたないままでした。大事な所(妙心寺)をかっ飛ばすなど知る由もありません。
1 方丈から先に進みました。同世代の男性方からと女性の方から説明を受けました。感謝感謝です。
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6 廊下方面から石庭方面を望み。10名に満たない見学者ですから至福のひと時を過ごすことが出来ます。
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10 こちらから進入禁止でしたから、この先は仏殿&西の庭に続いた居るのだと思います。
11 この廊下の先を曲がると茶室の蔵六庵だったかと。
12 茶室蔵六庵の脇の露地にある手水舎で『知足の蹲踞(つくばい)』呼ばれています。仏教にも茶道にも相通じる『吾唯足知』です。
茶室に入る前に手や口を清める手水を張っておく蹲踞が置かれています。その蹲踞には中央の口と言うへんやつくり等を共有する事に依って、吾唯知足の哲学的な四文字になります。次の説明文は日本の世界遺産の楽しみ方 から一部引用です。
「吾唯知足」の意味とは・・・・ 吾唯知足には『われ、ただ足る』という意味はこめられており、その意味合いから石庭の石が「一度に14個しかみることができない」ことを「不満に思わず満足する心をもちなさい」という戒めの意味が込められているのだとか。
なんとも深いその意味はまるで人生の教訓のようであり、人の一生も吾唯知足に当てはめて考えてみれば、今ある人生を大切に生きようと思うものです。
13 水戸光圀公の寄進だそうです。諸国漫遊しておりませんからこちらに立ち寄った訳ではありません。
14 茶室のですが、ここから先は入る事が出来ません。ボランティアの方の説明を受けました。
15 お奥のふすまの前に順路として矢印があるのが分かりますでしょうか。ここから女性のボランティアの方に説明を受けました。
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18 順路に従い、反時計回りにて出口に向かいます。
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20 湯どうふですが、自分一人では敷居が高くてパスしてしまいました。西源院と書かれていますから、勅使門など謂れがあるようです。
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23 鏡溶池を左手に見ながら出口に向かいます。
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26 きぬかけの路まで戻ってきました。今回、妙心寺に寄る事もなくバスに乗って四条河原町に向かってしまった。まだ、時間もタップリあったので妙心寺の寄らなかったことが残念無念です。
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昭和の頃と今では、高層ビルが増えて来て・・・・。
私は昭和の頃の静けさが好きでしたね。
吾れ、ただ足る知るとの事。充分に自分自身たる個に足りていれば満足を感じる事が幸せかと。
不満が無くて心が満たされた満足感が得らる教えかとおもいました。
この四文字で思い出した人物がおります。
南米のウルグアイの世界で一番貧しい大統領呼ばれた、ムヒカ大統領を思い出しました。
足りるをしれば、心も休まり充足するとは大切かと。
物欲の現代には特に必要な四文字かと思いました。
いつもコメントありがとうございます。
昭和の京都は二度の修学旅行と一度の研修会場としての京都でした。
新京極の近くに宿が在ったのかもしれませんが、記憶が全くありません。
奈良は猿沢池だったとの記憶があるのにです。なので知っているようで何も知らない京都でした。
TVの番組などで多く見かけますから、知っているつもりだけにはなりました。
昭和の東京と同じく、昭和の京都も趣は今よりあったのかもですね。
でも、その昭和の京都の記憶が何もありません。
知っているようで何も知らない自分です。
放送から得た知識を真の姿だと思ってしまいます。
直接肌で感じる感覚は貴重ですね。
今回の旅で特に強く感じます。
いつもコメントありがとうございます。