凄い才能の持ち主である将棋の藤井聡太二冠が卒業を待たずに高等学校を自主退学した。
その決断には、凡才である一般人では図り知る事が出来ないと感じる。
決意したのは昨年の暮れらしいが、高校卒業との形式的な物など眼中にない。
将棋という勝負の世界に身おくならば、将棋以外には価値も見出さず。
費やす事が出来る全ての時間を将棋に掛けたいとの気持からだろう。
凡人(凡才)と天才の違いを見た感じである。
自分のような一般的な凡人であれば、あと数か月の高校生活をと思うのも、彼にとっては何の意味もないのである。
天才が天才である所以である。
凄い、18歳です。
年間4人(最低で)しか将棋のプロは誕生しない。
奨励会から勝ち抜いてプロに這い上がるだけでも天才である。
プロの棋士になる事はとてつもない狭き門なのです。
そのプロの棋士の中に於いて八大タイトルの二つを保持する現在は二冠です。
天才が偉人の階段を登り詰めていく姿を見るが如くです。
退学にケチをつけるのは所詮、凡人が凡人の浅知恵で思いつく思考です。
何処まで育つのか計り知れない藤井聡太棋士である。
藤井聡太二冠にとっては、今一番自分に必要とすることを取捨選択する事は何ら問題が無いのかもしれません。
高校卒業としての肩書も、彼にとっては何の価値もない存在なのだと思います。
神から全ての生き物に平等に与えられて時間です。
如何に、今の彼自身にとって価値があり必要とするものかと思考して下した決断かとおもいます。
肩書など何の意味も持たない勝負の世界にあって、目的から除外したとして責める事も褒める事も凡人には下す資格がないのかもしれません。
でも、彼の将棋に対する真摯な姿勢の表れかとおもっています。
棋士になるだけでも天才ですが、彼は偉人への階段を登り始めているのかもと思う程です。
彼自身はその事に気が付いていないとおもいますが。
心の思うまま、自分が進みたい道へ進んでいるだけなのでしょうが。
いつもコメントありがとうございます。
ご子息も国立大の三年生を棒に振ってですから、強い意志を持っていた方ですね。
日本の大学は、入るまでが勉強で入ってからは友人などの人脈を築き遊ぶところと捉えられているほどです。
真剣に専門性を学びたいと言う学生にはある意味幻滅する事もあります。
戦後の、大学の一般教養の二年間は無駄と言えば無駄かと思っています。
その為残りの専門課程の二年では、専門知識の習得には限界があり、向学心の強い人は自分の教育環境に疑問を抱くかもです。
国立大学ですから、教授陣はそろっているかとおもいますが、私立のタコ足、駅弁大学では怠惰に時を過ごすだけかと感じます。
地方出身者にとって東京と言う都会に出たい為の手段であり、大学が東京並びに東京近郊に存在していることが大きな選択要素だと聞いたことがあります。
ご子息も、信念を持って自分の将来に向かった姿は立派です。
凡人は兎角、やすきに流れてしまうのが常ですから、将来が時に依ってはいばらの道であっても進むのは立派です。
親の気持ちとすると、太志や冒険より安定を一番に考えますから、心配しますよね。
一生、親の庇護の元に居られない事は、分かって居ても苦しい道を歩かせたくないと思うのが、親心でしょうか。
子供には旅をさせろと言われても、ふんぎる決断が出来ないのも亦、親心でしょうか。
いつもコメントありがとうございます。
頭の中で 何十手も先を考える頭脳など 想像もつかない、、
我が長男は もちろん凡人ではありますが 国立大3年で 4年ように渡した授業料を 振り込んでないのが学校からの電話で判明して 問いただしたら やめて 建築の専門学校に行きたいと、、
工学部でしたが あと1年だから卒業してからもと説得しても
「その1年が勿体無い」と言い張り、、
結局 授業料は払わないと
中退とも認定されず除籍とわかり
私が学校に払い込みに行き、、
(本人は 除籍でも良いと言ったので)
今は さる大手の 建築メーカーに 設計士として中途採用(激戦だったらしいけど)で
仕事していて 本人の人生だからと 当時諦めた我らは 今はホッとしてますよ〜