髙井鴻山記念館で頂いたリーフレットから一部引用させて頂きます。
北斎と鴻山 ふたりをめぐる人間模様
江戸遊学時代に交流のあった画家・葛飾北斎が、鴻山を訪ねて小布施にやって来たのは天保13年(1842年)の秋。80歳を超えた老画家が、はるばる小布施を訪れた理由には諸説あるが、天保の改革の過激な取り締まりを避け、北斎芸術の良き理解者であり、経済的な支援者としても頼もしい鴻山のもとへ、身を寄せたと考えるのが妥当であろう。北斎はその後再三にわたって来訪し、鴻山が提供した「碧い軒」(へきいけん)をアトリエに、数々の肉筆画の傑作や鴻山との合作を残した。鴻山は北斎を師と仰いで尊敬し、北斎は鴻山を「旦那様」と呼び、折り目のある交流が続いたと伝えられている。
つぎは訪問時に頂いた「髙井鴻山記念館」のリーフレットです。
1 ① 第一展示室(文庫蔵)、② ゆう然楼(二階建て日本建築)、③ 第二展示室(屋台蔵)、④ 第三展示室(穀蔵)と庭園などが見どころですが、展示室には撮影禁止の表示がありましたので画像はありません。しかし、第一展示場から日本家屋の『ゆう然楼』に靴を脱いで入りましたが撮影禁止の表示がないので撮影させていただきました。
芸術作品であったとしても、各展示室の作品もフラッシュを焚かなければ撮影可としてほしいものです。
2 北斎とつながる小布施です。
3 三~四ヶ所のお店を覗きましたが、食事できる所は見つかりませんでした。で、持ち帰りお弁当の栗おこわを買って高山記念館に向かいました。裏門にあたる東門から入る形になりました。
3-2
4 赤毛のアンを思い出してしまう栗の小径です。舗道に敷き詰められているレンガタイル風の物は、長方形の木が埋められて舗道を形成していました。年輪が見えますよ。
5 栗の小径の通過した所(写真の後ろ)の右手はレストランでしたが、満員でした。
6 左手が髙山鴻山記念館の東門です。花が咲いている栗の巨木です。
7 東門の左右の蔵がある形です。左が屋台蔵で右が穀蔵です。どちらも展示室で中は撮影禁止です。
8 正面入り口脇の文庫蔵です。今も火事は恐ろしいですが、命も財産も奪い取りますから、蔵は重要な建物です。
9
10 高価な文化財が町内を練り歩いたのですから、想像するだけで身震いがします。
11 日本家屋に「ゆう然楼」の向かいの壁に絵が貼られていました。
現在の上皇上皇后両陛下のものだと思いますが、植木で裏面が読めませんでした。
12
13
14
15 ゆう然楼です。
16
17
18
19
20
21
21 駒つなぎの石です。乗馬して訪れる人が居たのですから流石です。
反対側と言うより、東門に対峙していますが、こちら側が正式な入り口です。一旦、出させて頂き写真を撮って来ました。
99
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます