東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

静かな忘年会

2007年11月20日 | その他山関連

 毎年、先手を打ってこの時期に忘年会を行っているが、このメンバーはかつて同じ山岳会の所属していた昔の面々。しかし、最年小でも40歳代後半、最年長は還暦をまたいだ元会長さんらで、アベレージは50歳台後半という構図。14名集まった中でまだ現役ぶっているのは2~3人だけ。その他は海釣りやシーカヤックなどと、まるで山屋暮らしの反動のように海の方へなびいて行く。特に仙台と言う土地柄だろうか、岩魚釣りでも凝りだしそうだがそうではない。流石にゴルフをやっている人は皆無だが、かつての一本杖スキーヤーが、今や中高年スキーヤーの王道を行っている。

 しかしこのメンバーはその全てが現役を退くと、とっとと会を退会してきっぱり会との縁を切って行った。何処かの山岳会のように、山にも行かない古参会員が集会で高座に居座り、居心地の良い存在など言うことは皆無で、引退が即会の脱会を意味していた。つまり、会の運営は現役に委ねるのが筋で、年寄り連中があれこれとちょっかいを出すのはおかしい。会の活性化とその存続は、現役世代の情熱とその世代交代にかかっているからだった。少なくとも自分ではそう思っていた。元々個人山行主体の会であったが、こういった会は自由な雰囲気でまた個性的な雰囲気が漂い、自己満足度も高く楽しかった思い出しかない。幸い大きな事故やトラブルもなかったからだが・・・。

 しかしこういう会には極めて個性的な人間が存在し、ある時にはとんでもない事件の張本人だったりする。酒が進むと予想された様な御乱心状態となり、昔からのなだめ役が登場してその場を沈める。毎回繰り返されるこの悪行三昧だが、なぜか今年は何時もと違っていた。会は大いに盛り上がったが、今年は主役が突然の不参加となり、夜半には殆どのメンバーが撃沈状態でおとなしく退散となった。流石に歳をとってきたと認めるしかないか?今回は監事としてはもっけの幸いと言う所だが、正直なところ物足りない一夜でもあった。しかし、この反動の来年が怖い。

鎌倉温泉 かまくらおんせん
宮城県 蔵王町の秘湯、鎌倉温泉。源平時代、前九年の役で鎌倉権五郎景政という武士が傷を負い、療養中神女のすすめで温湯を発見し、それ以来鎌倉沢と呼ばれるようになりました。その後温泉は一時衰えていましたが、明治元年再び開湯したと伝えられている歴史ある温泉です。

泉質

・・・強アルカリ泉、ラジウム鉱泉

効能

・・・外傷、皮膚病、痔など 

25年間お付き合いした水虫も完治したのもこのお湯のおかげ?

 

 

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登山の法律学

2007年08月31日 | その他山関連

最近読んだ山の本で読み応えのあった本がある「登山の法律学」 2007年7月出版。東京新聞出版局刊。これは「岳人」2004年1月号~2006年12月号に連載された「山の法律学」を改題し、大幅な加筆を加えてまとめた物です。著者は東京大学法学部卒の弁護士の溝手康史氏。自ら縦走、冬山、沢登り、山スキー、クライミングなど幅広く行い、海外でもハンテングリ(7010m)とボベーダ(7439m)登頂、カラコルムのアクタシ(7016m)初登頂、バフィン島のフリーガ2峰登攀など、輝かしい登山経歴を持つ方です。

かつては「山に法律を持ち込むべきではない」とされ、山岳事故に法律を持ち込むことを嫌う風潮が有りました。しかし、最近は登山に限らず、全般的に法律問題に対する社会の関心が高くなっており、また、ツアー登山、ガイド登山、商業的講習会、クライミングジムなどが一般化し、登山やクライミング、沢登り・山スキーなどに関して、法律を避けて通れなくなっているようです。その象徴的な出来事が大日岳訴訟だったと思います。

これは旧文部省登山研修所が2000年に実施した北アルプス・大日岳の研修登山で、雪庇の崩落による雪崩で死亡した大学生2人の遺族が国に約2億円の損害賠償を求めた訴訟は今年の7月26日、国が冬山登山の安全対策を講じることや和解金1億6700万円を支払うことなどを条件に、名古屋高裁金沢支部で和解が成立した。結果的には講師の個別的な責任は問われなかったが、民事訴訟で国側の過失責任を大幅に認めたものだった。この判決についてはいろんな意見が有ると思いますが、この判例が今後の山岳事故訴訟問題で大きな影響力を持つものと思われます。

この本は法律問題を扱ったものとしては意外と読み易く、判例もしくはケーススタディを中心としていて理解しやすい内容となっている。実際には、山岳事故で法的な責任が問われるケースは稀で、その法的な責任を認める判決も少ない。しかし最近、仲間内の登山以外のツアー登山、ガイド登山、登山講習会、学校登山などと多様化し、山岳事故については今までに無い引率者責任がクローズアップされてきている。登山中の事故の殆どはなんらかな人為的なミス(ヒューマン・エラー)が介在しています。一見不可抗力の自然現象のように思われますが、結果的に事故の原因として人間の判断ミスが問われる可能性が有ります。

登山とは、安全管理の可能な社会を離れてわざわざ危険な山岳地帯に入り込む行為です。「危険な事を承知した上でわざわざ行う」という登山の特性から、「危険な登山は、それが義務や職務で無い限り、あらかじめ了解した危険の範囲では自己責任」だとする事が要請されます。その為、登山における法的責任に関して、予め予想される危険のうち何処までが登山者の自己責任になるかが重要なポイントとなります。山岳事故においては特に引率登山と自主登山の区別は重要であり、この違いによって安全配慮義務の有無や範囲・責任の重さなどが決まってきます。

自分のような古典的な山岳会育ちの山屋は、新人の時から先輩の後に付いて行って多くの経験を積み、辛い思いの山行を重ねながら自ら技術・体力・集中力を高め、やがてリーダー格に育って多くの実り多い山行を実践出来るものと思っていた。したがって仲間内ではお互いに暗黙の了解が為されており、法律問題を意識する事などは無かった。しかし最近は事情が異なり、登山者は必ず組織的な一員である必要も無く、その長い修行期間を一気に飛ばして希望のツアー山行に参加し、最も自己満足度の高い登山を手っ取り早く実現する事も出来る。組織的なわずらわしさが無い分、自分の志向にあった登山を自由に満喫できるという点でメリットが有り、現実的なニーズも大きい事から今後も拡大すると思われ、私も決してこれを否定するものでは有りません。しかしこの傾向が強まれば引率登山での法的問題が強調されるようになり、もし事故が起こったときは避けて通れない自己責任と引率者責任問題に突き当たります。

この本は著者の豊富な登山経験に基づく実践的な内容に沿っていて興味深く、登山行為の本質に迫る様な意気込みが感じられ、大変興味深く読む事が出来ました。最近多くなった山岳・ツアーガイドさんまたは今後その方面を目指す方には必読書であり、いろんな会のリーダー格の方にも一読をお勧めします。しかし、最近資格試験で多少法律関係をかじった事はあったが、最後には流石に読み疲れてしまった。 


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「ミイラは生きている」 NHKスペシャル

2007年07月02日 | その他山関連
                      アコンカグアの南壁

世界遺産ブームが続く日本。中でも南米アンデスの空中都市・マチュピチュの人気は高い。マチュピチュを生んだインカ文明を取り上げた、「ミイラは生きている」NHKスペシャルを興味深く見た。インカ文明についてはあまり知識が無かったが、ミイラを「生きた存在」と考えたインカでは、神に捧げる為に10~15歳程の子供を生贄にしたらしい。しかし、その場所が標高6700mの高所と言うから驚いてしまった。

番組では山の名前には触れていなかったが、アンデスでこの高度を保った山はアコンガグア(6959m)しかないだろう。アコンカグアは、アルゼンチンとチリの国境に聳える山で、アンデスはもとより南北アメリカの最高峰である。また、山の高さだけでなく、その堂々といた山容から他を圧倒する大きさが有り、昔からインカの人々にあがめられていた山の様だ。

1883年、アコンカグアの登頂が初めて試みられたが、初めてその山頂が踏まれたのは1897年1月14日で、イギリスのエドワード・フイッッツジェラルド率いる遠征隊のスイス人ガイド マティアス・ツールブリッケンによって成された。その後インドヒマラヤのトリスル1峰(7120m)が1907年に登頂され、人類が始めて7000mラインを始めて越えた。

そんな高所登山の基礎知識しかない自分にとって、およそ4~500年前のインカの人々がアンデスの高峰目指し、6700mに達したばかりか地下に深い穴を掘り、幼い子供を生贄にした事は驚く。5000m位ならばまだ納得も出来るが、この高度となるといかに高所慣れしたインカの人々とはいえ信じがたい。しかし、確かに生贄にされた現場での眼下の光景はその通りであった。

ヒマラヤでの高所順応の一般的な知識として、4000mと6000mラインの2段階が重要なステップと言われている。たとえ8000mを目指す高所クライマーでさえ例外ではなく、基本的なセオリーを踏んで山頂に達するのが常識。これを無視するならば必ず高度障害を引き起こし、登山の失敗はもちろん場合によっては順応中でさえ命を失うケースもある。しかし、このインカの生贄にされたのはまだ幼い子供で、徒歩で登ったのか担がれたのかは不明だが、確かな高所順応をしていたと見られる。その証は胃袋には食物が残っており、高所に良く適応して食欲が有った事で解る。

幼い子供ならば呼吸器系なども未発達で、肺活量も少なくて高所順応には大人と違って不向きの筈だ。しかもまともな防寒具もなければテントも無く、コンロも無いので高所では必須の多量の水分補給さえなかったと思われる。何がしかの高所順応のノウハウが有ったかもし知れないが、大人でも生死をかけた信仰行事だったと思われ、それ以上に子供の犠牲者もいただろう。そうなるとこれは純粋な登山行為とは言えないが、当時アコンカグアの初登頂が成された可能性も有る。
          
ヒマラヤなどの高峰では山岳信仰された話はあまり無く、チベットを除いて殆ど宗教的なな色彩は感じられない。イスラム教・キリスト教等のような一神教の文化圏とは異なり、多神教の日本の様に山も神と崇めた山岳信仰の民族は稀な様だが、ここインカでは神への熱い信仰心が有ったと言う点で興味深い。


※長文の昔の記録で恐縮ですが、お暇な方は覗いて下さい。

トリスル1峰 西壁ユーゴスラビアルート第2登 1981年10月

http://f58.aaa.livedoor.jp/~yamadori/torisul1981.html

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「登山の森へ」 遠藤甲太著

2007年05月25日 | その他山関連

そろそろ山スキーも一区切りがつき、暇な日々を送っています。
最近山の本などあまり読んでいないが、暇をもてあまして市の図書館から借りてきた一冊の本がある。その本は「登山の森」。著者は「詩人・エッセイスト」の遠藤甲太氏。一般的にご存知の無い方も多いと思いますが、あまり派手な記録ではないが、この方は日本のアルパインクライミングが絶頂期を迎える頃、長谷川恒夫がデビューする前の谷川岳一ルンゼ冬季初登攀、パキスタンの難峰カラコルム・ラトック1峰初登頂などの歴史的かつ輝かしい記録を持つ方。本業が文筆業で今は国内登山史の膨大なデーターを収集分析し、詳細かつ辛口な評論を書いている方です。

例えば新田次郎の作品については初期の「強力伝」を除いてはは二流三流の小説だとか、優れた山岳文学というのと、パキスタンのディラン峰登山をモデルにした北杜夫の「白きたおやかな峰」くらいとか、大作家をばっさりなで斬りするような事を書いている。読んでいると何かうなずける事もあって、なにか爽快な気分にしてくれるれる意外と面白い本だった。

この本の真骨頂は「登山史の落し物」という、正統派登山史にはまず記載されていない資料をベースにした、埋もれてしまったメンタルヒストリーを書いた本だった。ほうっておくと誰も見向かず、やがてはゴミになってしまう「落し物」だが、それは以外と我々地方山スキーヤー・山屋さんにも興味深い、埋もれた登山史年表の集大成でもあった。

ここに登場する著名な加藤文太郎、松濤明、小西政継の他、殆ど無名の立田實と言うクライマーが登場する。この名前は自分でも始めて知る方だが、実は1950~70年代、桁外れの情熱を持って「山」に対した方。若く45歳に満たない短い生涯のうち、おそらく5000日程を山行に費やし、日本の山岳、岩場を無尽に縦横したのち、世界の山々を巡り岩場を攀じた方。老舗の緑山岳会に所属していたが殆どは単独山行に徹し、谷川岳等の多くの冬季初登攀、北アルプス・南アルプス等で長大な冬季初縦走を行っている。南博人の一ノ倉沢南稜冬季初登の前年に実質的な冬季単独初登攀を行っている。南アルプスの厳冬期全山単独縦走のほか、当時はまだ探検的登山である、知床連山の厳冬期単独初縦走等(19歳頃)を皮切りに、世界ではアコンカグア南壁完登(第2登?)、アイガー北壁単独登攀、グランドジョラス北壁(1971年前後)、ナンガパルバット南壁偵察(単独)、ダウラギリ南柱状岩稜偵察、エベレスト8300m地点到達(シェルパになりすましてサウスコル上部まで)。

その後の彼は地球的放浪者となり、北米・南米・カラコルム・ネパールヒマラヤは勿論の事、アフリカ・アラスカ・中央アジアの山々に足跡を残している。当時はまだ世界の誰も着目しない、知る人ぞ知る先進的な目をした登山家だったとい言われている。まだ当時外国人には未解放のチベット入国(ラマ僧と一緒に)~ネパール~ブータンを経てビルマ入国。なにしろあのカリスマクライマー、森田勝も怒鳴られ蹴飛ばされて育ち、彼をしてものすごい人と言わしめた存在だったらしい。しかしこの孤高のクライマーは詳細な記録を残さず、むしろ亡くなる前には自らの記録を全て焼却処分してしまった為、彼を慕う多くの仲間による追悼集と、仲間による伝説的な記憶しか残っていない。

この方の様な破天荒なスケールとは行かないまでも、私の先輩諸氏にも同じ様な道をたどった方が一人いた。およそ34年前私が同じ山岳会に入った時には、ネパールヒマラヤ登山に向かっていて面識はなかったが、その後カラコルム・ネパールヒマラヤを放浪した後、大胆にも単独でネパールのランタンリ(7250m)を試登し、帰らぬ人となった人だ。今から36年程前、飯豊連峰の冬季初横断・厳冬季利尻山東稜・黒伏山南壁中央ルンゼ冬季初登攀等、東北では特異な先鋭的山行を実践した方だった。この方は立田寛と似て何か共通するものがある。

しかしこの面白い本は2800円。今の山屋さんでこれだけの散財をする人はどれだけいるだろうか?自分は残念ながらせいぜい680円の新書本どまりです。



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休みの日の衝動買い

2007年01月28日 | その他山関連

今日は天気が良さそうだったが雑用の為に山は諦めた。
少し時間があったのでたまに訪れる太白区の古書店の萬葉堂さんに寄り、文庫本を一冊買い求めて帰ろうとした所興味深い本が7冊。「岩と雪 1~7号」値段は7冊で7000円と表示され、隅の本棚の一番下の所に押しやられていた。紐を解いて本をめくってみると、多少は黄ばんではいるものの汚れや破れた様子も無く、この7冊は保存状態が良くて上物に思えた。先日、知人から8号を貰ったので、この7冊を購入すれば1~110号まで36号の一冊を除いて揃う事になる。まったくの偶然だが、このチャンスは他にあるまいという事で、10%だけ値切ってなけなしをはたいて購入。

これまで色々な山の本は購入したが、別に骨董的な趣味は無いので今まで高い金を払って買った記憶は無いが、ただなんとなく「岩と雪」だけは別物で思い出深い物がある。かつてアルパインクライマーを目指していた頃は、たいした記録でもなかったが5~6本投稿し、登攀クロニクルに全て掲載してもらった。今思えば記録のレベルとか内容は別にして、当時、東北の山屋さんからの投稿が極めて少なく、珍しさがあっての掲載だったのだろう。

創刊号の発行は昭和33年6月25日、P324のB5版で定価300円とある。内容はヒマラヤの初期の情報に関するものが2割位で、他は烏帽子奥壁、中央稜、滝沢、前穂東壁、北岳バットレス中央稜、赤石沢奥壁中央稜、剣岳チンネ正面壁、不帰岳一峰東壁など、国内の積雪期初登攀記録のオンパレードとなっている。主役は芳野満彦、松本竜夫、奥山明、吉尾弘、吉田二郎など、第2次RCC創成期の初代メンバー。

読んでみるといまの山行記録とは異なり文学的な匂いというか、まるで小説を読む様な文面で結構面白い。今から50年も前のこの時代とは言え、既に激しい初登攀争いが当たりの様で、「未踏」の持つ魔力に引き付けられた多くのクライマーの生き様が描かれている。この激しい積雪期の初登攀争いから社会人山岳会が実力蓄え、伝統的な大学山岳部系山岳会主体だった日本の岳界勢力地図は塗り替えられ、やがて世界をリードするヒマラヤ登山大国に発展して行く。

いまさら行きたくても中々実現しないヒマラヤだが、そろそろ懐古趣味も似合ってきたという事でしょうか?



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山の本の値段?

2007年01月08日 | その他山関連

今週の連休は正月の好天の反動をいきなり食らったようで、山に向かう気力などまったく失せてしまった。まる3日間何もしないで過ごすのも辛いもので、流石に時間つぶしに苦労してしまった。

そんな時、知人から山の本の売却を頼まれ、8冊の単行本を預かってきた。その本とは「冬季アイガー北壁直登 横川文雄訳 ナンバー入り豪華限定本&日本語訳単行本」「アンナプルナ南壁 英語版&日本語版」「マナスル西壁 公式報告書&単行本」「カンチェンジェンガ北壁 小西正継サイン入り本」など等・・・。この知人は月給が5万円の頃、一冊3万円程もする白川義員のネパールヒマラヤの写真集を買った事もある方。

神田の山岳専門書店の悠久堂さんなら@30000~@20000で並ぶ本も有るらしいのだが、果たして実際に売却となるとどうなるのか?
ちなみに仙台の一応山岳図書を並べた古書店だと、冠松太郎などの希少な本でもでもダンボール1ケース@10000位が相場らしい。つまり、目方いくら?の商売。こんな値段では持っている人は勿論、著者にもまったく気の毒な話。

そこで思いついたのが「今旬な?」ネットオークション。
しかし、自分にはまったく知識がないので、詳しい知人にお願いして売却を依頼の予定。ヤフーオークションを覗いてみると、「アウトドア」のカテゴリーに中に山の本関連が載っていた。ただ、その殆どは山渓、ビーパルなどの雑誌、あるいは普通に見かける一般的なガイドブック、単行本で、専門書的な物はあまりない様子。

考えてみればこの様な「レア物?」に興味のある方は年代的に高く、インターネットオークションではお呼びじゃないという事も有り得る。しかし、一冊でも売れれば良いというのが正直な所で、遊び半分という感じですが・・・。

でも、TVの鑑定団で根付けをする根拠は何なんでしょうか?勝手に値段を付けるのは自由ですが、実売価格との開きは如何ほど?あるいは殆ど売れる見込みのないものは無いのか?楽観的に想像するのは楽しいですが、実際買い叩かれた本人はちょっと惨め。

もし売れそうな見込みなど無いなら、いっそのこと県立図書館などに寄贈してしまった方が賢明なのかと思ったりもします。



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疲れる忘年会

2006年11月27日 | その他山関連
先日は昔の山仲間と蔵王町のとある山の中の一軒宿で忘年会。もう大半が50を越えたオヤジばかりの集まりとなると昔話に花が咲くが、いわゆる普通のOB会とはちょっと違い、異常な盛り上がりを見せるのがこの集まりの特徴。
殆どのメンバーはとっくに山から遠ざかり、海釣りに夢中になって青森、伊豆まで出かける者、グライダーに入れ込んでいる者、古民家を手入れして別荘暮らしを自慢している者、自分で自宅を建ててしまう者、派手なボルボでいきなり会場に乗り込んでくる者など様々。昔の付き合いからは想像出来ない様な人生を歩んでいる人が多い。

しかしかつて自分の歩んだ道は決して消え去る事は出来ず、一気に30年前の仲間の世界へとタイムスリップして行く。開始前から既に酔いつぶれている毎度のメンバーもいたり、宿に堂々と持ち込んだ酒はなみなみと注がれ、ボルテージは上がる一方でまるで歯止めが効かない。現役時代にはとても手の届かなかった銘柄酒、ビンテージもののウイスキーなど哀れな存在。質でなくて量である。

しかし一人一人と酔いつぶれて行くが、最後の残る人は何時もだいたい決まっている。自分より10歳程上のT氏、もう少しで60歳に手の届きそうなS氏。夜もふけた2時頃になって大声で怒鳴りあっていて自分も目が覚めた。いわゆる「表へ出ろ!」の話である。仲裁に入った元会長サンの尽力で乱闘騒ぎは免れたが、静かでひなびた渓の宿にはまったくふさわしくないご乱心。宿のお上さんの驚きようを考えるとお気の毒と言うしかありません。
結局、外の廊下に寝込んでしまった巨体のT氏を2人で引きずり上げ、コタツに寝かせて今回はジ・エンドとなった。翌朝のT氏の額には階段で転げ落ちた時に付いた勲章が光っていた。

翌朝になると当事者2人は殆ど記憶が無く、T氏は気持ち良さそうに一番風呂につかり、低農薬栽培の野菜が美味しい朝食をたいらげご満悦。S氏は自分の事など棚に上げ、「ちょっと皆騒ぎすぎてうるさかったな」とのたまう。しかし、周囲の我々も怒りなど無くて笑いのネタとなる。要するに昔からみんな慣れっこになっているのだ。30年前となんら変わる事の無いメンバーだが、これから30年先も変わる事はあるまい。しかし来年の予約を入れるタイミングには困ってしまう。


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