東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

飯豊連峰 飯豊トンネル側~三国岳~切合小屋 2017.09.24

2017年09月26日 | 山歩き

あまり紅葉は期待しないでいたが、切合小屋から本山方面は見事な紅葉。昨日に雨のためか登山客は意外と少なく結構静かな雰囲気。
本山もたどり着けないことはなさそうだが、帰りの膝の負担を考えてビールを1本所望。まったりのんびりの1日も悪くはない。
飯豊トンネルから五段山~三国岳間の登山道は見事に刈り払いがされて歩きやすいが、視界がないのと結構長いのが難点。
余り歩いている人はいないようだが、膝には優しいコースで嫌いではない。

ここで飯豊に最初に登った記憶が蘇るが、思えば45年前の学生時代ワンゲルに一時在籍していた時の話。入部3か月の飯豊連峰全山縦走合宿があり、新人は35~40kgくらいある幅76cmのどでかいキスリング(帆布製の大型ザック)を背負わされ、1週間かけて大石~川入まで歩き通した。

今思えばかなり無茶な話で、ろくに運動もしていない体力もない新人には地獄の日々で、年功序列の奴隷のような世界は早朝3:00起床の食当やテントの設営が義務。テントの中では奥に先輩が鎮座し、新人は入り口でこま使い役で上下規律が厳しく決まった座敷牢のような生活。酒でもあれば少しは気晴らしになったかもしれないがそんなものは滅多に無い。

装備は重くかさばるビニロンテントに太いアルミ製のポール。食事は生米飯盒炊飯で食器は「ゲロ」と呼ばれた汚らしいアルミ食器。昼食は石のように固いフランスパンに萎びた胡瓜とソーセージ&マヨネーズの毎日。水の入った2.0リッターのポリタンクと2.0リッターのガソリンの入ったポリタンクが左右のサイドポケットに納まっていた。しかし、喉が渇いても目的地に着くまでは水が飲めない事になっていた。カッターシャツは濡れたら最悪の厚手のネルの生地で、下着は網シャツと呼ばれる木綿の肌着で濡れたら中々乾かない代物。真夏なのになぜか足元は分厚いウールのニッカーホース。今から思えばお笑い話しだが当時は誰もそれが当たり前と思っていた。

最も悲惨だったのは同じ行程を歩いた女子新人部員で、あまりの長時間行動と重荷に耐えかねてダウンしてしまい、到着してみると皆さん顔がまるでオカメの様に浮腫んでしまいお気の毒な光景だった。おまけに途中で捻挫するメンバーがいて剣ヶ峰から川入までの下降は大変だった。

こんな囚人のような暮らしでは山を楽しめるはずもなく、ただ決まったコースに従い行程を消化するだけで、義務感が正義のような狂った山行だった。従って、クラブでは意欲のある個人山行などは殆ど無く、大学では日々麻雀仲間同士とたまにある宴会のためのクラブで、卒業すると殆どは山から遠ざかって行く。強いて言えば、就職する際に「地獄のワンゲルを生き抜いた根性のある学生」としてのポイント狙いとも思えた。

自分は半年でさっさとサヨナラして社会人山岳会の門を叩いたが、今思えば実にクレージーな世界だったと今では思う。ただ、その次に入った当時の社会人山岳会もまたクレージーな世界で、田舎ならではのヒマラヤ至上主義が当たり前で仕事は捨てて山が命という先輩方が主流。仕事そっちのけで山に入れ込む元祖山フリーターが存在していた。おかげで自分も人生の道を踏み外して現在に至るが、終わってみれば辛い思い出は忘れ去って楽しく満足した事だけが蘇る。全て自己満足の世界なので他人の事など気にする必要などなく、他人に迷惑が掛からい程度に自己の道を忠実に歩めばそれで良い。

結局、自分は思った道には進めず紆余曲折の中途半端な山屋暮らしとなってしまったが、結果的に今や死語となった「オールラウンダー」が最も当てはまる山屋人生となってそれなりに満足としよう。

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コメント (1)
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