東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

「登山の森へ」 遠藤甲太著

2007年05月25日 | その他山関連

そろそろ山スキーも一区切りがつき、暇な日々を送っています。
最近山の本などあまり読んでいないが、暇をもてあまして市の図書館から借りてきた一冊の本がある。その本は「登山の森」。著者は「詩人・エッセイスト」の遠藤甲太氏。一般的にご存知の無い方も多いと思いますが、あまり派手な記録ではないが、この方は日本のアルパインクライミングが絶頂期を迎える頃、長谷川恒夫がデビューする前の谷川岳一ルンゼ冬季初登攀、パキスタンの難峰カラコルム・ラトック1峰初登頂などの歴史的かつ輝かしい記録を持つ方。本業が文筆業で今は国内登山史の膨大なデーターを収集分析し、詳細かつ辛口な評論を書いている方です。

例えば新田次郎の作品については初期の「強力伝」を除いてはは二流三流の小説だとか、優れた山岳文学というのと、パキスタンのディラン峰登山をモデルにした北杜夫の「白きたおやかな峰」くらいとか、大作家をばっさりなで斬りするような事を書いている。読んでいると何かうなずける事もあって、なにか爽快な気分にしてくれるれる意外と面白い本だった。

この本の真骨頂は「登山史の落し物」という、正統派登山史にはまず記載されていない資料をベースにした、埋もれてしまったメンタルヒストリーを書いた本だった。ほうっておくと誰も見向かず、やがてはゴミになってしまう「落し物」だが、それは以外と我々地方山スキーヤー・山屋さんにも興味深い、埋もれた登山史年表の集大成でもあった。

ここに登場する著名な加藤文太郎、松濤明、小西政継の他、殆ど無名の立田實と言うクライマーが登場する。この名前は自分でも始めて知る方だが、実は1950~70年代、桁外れの情熱を持って「山」に対した方。若く45歳に満たない短い生涯のうち、おそらく5000日程を山行に費やし、日本の山岳、岩場を無尽に縦横したのち、世界の山々を巡り岩場を攀じた方。老舗の緑山岳会に所属していたが殆どは単独山行に徹し、谷川岳等の多くの冬季初登攀、北アルプス・南アルプス等で長大な冬季初縦走を行っている。南博人の一ノ倉沢南稜冬季初登の前年に実質的な冬季単独初登攀を行っている。南アルプスの厳冬期全山単独縦走のほか、当時はまだ探検的登山である、知床連山の厳冬期単独初縦走等(19歳頃)を皮切りに、世界ではアコンカグア南壁完登(第2登?)、アイガー北壁単独登攀、グランドジョラス北壁(1971年前後)、ナンガパルバット南壁偵察(単独)、ダウラギリ南柱状岩稜偵察、エベレスト8300m地点到達(シェルパになりすましてサウスコル上部まで)。

その後の彼は地球的放浪者となり、北米・南米・カラコルム・ネパールヒマラヤは勿論の事、アフリカ・アラスカ・中央アジアの山々に足跡を残している。当時はまだ世界の誰も着目しない、知る人ぞ知る先進的な目をした登山家だったとい言われている。まだ当時外国人には未解放のチベット入国(ラマ僧と一緒に)~ネパール~ブータンを経てビルマ入国。なにしろあのカリスマクライマー、森田勝も怒鳴られ蹴飛ばされて育ち、彼をしてものすごい人と言わしめた存在だったらしい。しかしこの孤高のクライマーは詳細な記録を残さず、むしろ亡くなる前には自らの記録を全て焼却処分してしまった為、彼を慕う多くの仲間による追悼集と、仲間による伝説的な記憶しか残っていない。

この方の様な破天荒なスケールとは行かないまでも、私の先輩諸氏にも同じ様な道をたどった方が一人いた。およそ34年前私が同じ山岳会に入った時には、ネパールヒマラヤ登山に向かっていて面識はなかったが、その後カラコルム・ネパールヒマラヤを放浪した後、大胆にも単独でネパールのランタンリ(7250m)を試登し、帰らぬ人となった人だ。今から36年程前、飯豊連峰の冬季初横断・厳冬季利尻山東稜・黒伏山南壁中央ルンゼ冬季初登攀等、東北では特異な先鋭的山行を実践した方だった。この方は立田寛と似て何か共通するものがある。

しかしこの面白い本は2800円。今の山屋さんでこれだけの散財をする人はどれだけいるだろうか?自分は残念ながらせいぜい680円の新書本どまりです。



コメント (5)
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