8月4日 カリマバード ホテル泊
今日はベイグさん最後のガイドの日で、予定通りフンザ王国の古城跡バルティットフォートの見学に出かける。850年の歴史を誇った王国は1945年パキスタンに編入されて姿を消したが、その子孫は今でもカリマバードに住居を構え代は続いている。
古城はホテルから坂道を歩いて30分くらいの距離だが、訪れてみるとヨーロッパ人以外に南部ラホール方面のパキスタン人が多い様で、避暑のため訪れる家族連れや若い女性の姿が多いのは意外だった。帰りに道の途中のフンザ料理専門の小さな店に立ち寄り、地元のチーズを使ったスープやチャパティ料理や蜂蜜を使ったパンケーキなど、フンザの素朴で風土色が良く出ていて美味しかった。
ガイドのベイグさんはこの後休む事無くナンガパルバット方面のガイドの仕事が待っている様で、ここで素晴らしいアテンドをしてくれたベイグさんにはお礼を述べてお別れとした。
8月5日
カリマバード ホテル泊
ホテルはカリマバードの中腹に立つフンザの谷筋を見下ろす景勝の位置にあり、頭上にはかつて長谷川恒夫さんが情熱を掛けて挑んだウルタル2峰(7388m)が聳える。
朝食の後ガイドのランクルに乗ってフンザ上部にあるドゥイカルの丘(2850m)に向かうと、そこは素晴らしい展望台となっており、対岸の山並みには抜きんでた高さとさと美しさを誇るラカポシ(7788m)。
左の山並みの後ろには白く輝くディラン(7266m)の山頂部が伺え、さらに左奥には山頂から垂直に切れ落ちるゴールデンピラー(スパンテーク峰 7027m)が見える。さらに後ろを振り返ると人差し指を天につき立てたような形状のレディースフィンガー(5985m)とフンザピーク(6270m)が見える。
思わず何枚もシャッターを切ってしまうのだが、カラコルムの高峰に守られたフンザ谷の美しく雄大な光景を目にすると、何か現実感を失ってしまいそうな世界が広がる。
その後カリマバードに戻り、フンザ谷を隔てフンザ王国とて対立していたナガール王国との防御の為の古城アルティットフォートを見物し、いったんホテルに戻った後に長谷川メモリアルスクールを訪れる。
故長谷川恒夫の遺言を受け継いだ奥様の直美さんや、多くの日本人の支援者によって設立された学校だが、建物は立派で施設も充実して現在では初等教育から英語での教育に力が注がれ、今や学生の数は800人を超すフンザではNo1の有名校になっている。
8月6日
カリマバード ホテル泊
今日はカリマバード観光の最終日となるが、ウルタルの展望台へ往復3時間のハイキング(途中まで車使用)となった。村の狹い道路を最後迄の車で上がり、そこからアプリコットのなるが畑の急な路を上がると視界が広がり、展望台から繋がる水路(工事中)上り詰め、後は水路に沿って水平に歩いてゆくと頂上に辿り着く。
裏側に回り込むとウルタルBCに行く下の水路が見えるが、2年前のガスの噴出に依る大崩落で谷が塞がり通行は困難な状態となり、また上部のウルタルBC付近の緑の大地も岩石で埋まって見る影もない模様。
現在反対側の右岸からダイナマイトで発破しながら新たな水路工事をやっていて、これが繋がれば再びウルタルBC迄スムーズに行けるかも知れない。(来年の夏の予定らしい)
午後になってからお土産屋を物色して目ぼしいものを探すが、お土産になりそうなものは余りなくお決まりの乾燥フルーツ購入となる。ホテル裏側のドライフルーツ店の主人は日本に何度か来ている様で、長野に果樹栽培の実習生で来日しのか多くの日本人の山岳関係の友人がいる様だった。結局店で話が弾んで3人でまとめ買いをする羽目になってしまい、残っているパキスタンルピーの大半を使ってしまった。
早朝のカリマバードのホテルのベランダからウルタル1峰(左) 2峰(右)を仰ぐ。
ホテルから10分ほど上がった丘より見るウルタル1峰(7329m)
ウルタール・サールは、パキスタン・カラコルム山脈バツーラ山群に属する10kmにわたる山群の総称。ボイオハグル・デュアナシールとも呼ばれる1峰、2峰からなる。
ウルタルサールの反対側にはフンザ川を隔ててディラン峰(7,257M)の山頂が姿を現す。
フンザの谷の対岸には秀麗なラカポシ(7788m)が鎮座する。
緑豊かなフンザはこの時期はあんずの収穫期。
パキスタンに編入されて姿を消したフンザ王朝のバルティットフォート。現在は外壁の改修修業中。
有名なガイドでサービス精神が有って人気者。
バルティットフォートの屋上より見るウルタル1峰方面。往復3時間ほどの歩きで右のウルタルの展望台に至る。
バルティットフォートの最上階から。
日本人旅行者の間では「風の谷のナウシカ」の「風の谷」のモデルとなったと言われてきたが真偽のほどは不明。
かつてはフンザワインが密かに造られていたようだが、厳しく禁止されて今は手に入らない。
ディラン峰(7,257m。日本人にも馴染み深いこの山を世に知らしめたのは、1965年京都府岳連カラコルム登山隊にドクターとして参加した北杜夫の小説「白きたおやかな峰」
人差し指をつき立てたようなその形状から「レディースフィンガー」の異名をとる。 1995年に山野井1995年に山野井泰史、長尾妙子、中垣大作の3人で未踏の正面ウォールを攻略し登頂に成功。
朝日に染まるラカポシの北東面。
フンザ川沿いのカラコロムハイウェーを北上すると中国国境のクンジュラブ峠に至る。
フンザ川の下流方向はギルギットに至るカラコロムハイウェーが続いている。
世界中の観光客がやって来るフンザの谷。
中央がディランの北稜と思われる。意外とクレバス帯が行く手を阻んでいるように思われる。
ラカポシは8000mの山に劣らない気品と風格がある。今年の7月に南面の新ルートより平出・中島パーティーが登頂に成功している。
スパンティック峰(7027m)の北面が垂直に切れ落ちたゴールデンピラー。まだ第2登されていない様です。
中央の青いテント近くまで登るとウルタルBC方面がうかがえる。
あんずの木の畑を上り詰めると見事な視界が広がる。
天空を散歩する様にこの水路を辿って行くと間もなく終点。
今日もダイナマイトで岩盤を吹き飛ばして水路を先に延ばしていた。来年に道が通じればウルタルBCまで安心して歩けるだろう。
右下の道の先はガスの噴出で岩雪崩が起きて歩けなくなった。
フンザ谷の対岸で敵対するナガール王国からの防御のため造られた城のアルテットフォート。
岩を削って建てたアルティット城はかなり古い。
フンザの王様の護衛になるためには若い頃にこの岩のてっぺんに立たなければならないらしい。間違えば200m下のフンザ川へダイビング。
カリマバードの丘からバルティットフォートを見下ろす。
すっかり観光客になり切る。
フンザ料理の店でランチ。素朴なチーズを使ったメニューが特徴。
最近のメニューはヨーロッパナイズされたのだろう。
カリマバードのハセガワメモリアルスクールへ行ってみる。
建物は長谷川恒夫の意思を受け継いだ真美夫人と多くの日本人支援者の手により建てられた。
フンザはパキスタンの中でも最も就学率が高く優秀な人材が育っている。パソコン機器も置いてあるらしい。
何時まで眺めても飽きる事のないラカポシ。
レディースフィンガー(左)とフンザピーク(右)。
長谷川隊ウルタル2峰の上部ルートは中央の雪田から右上してリッジ通しに山頂を狙った模様。大きな雪崩に遭遇して2人がBC近くまで流れ遭難した。
ピンポン玉くらいのオリーブの実は食べ頃。
動画 ① カリマバードの丘からフンザの谷展望
動画 ② 展望台よりディラン&ゴールデンピラー
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