雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月18日(土)の2 浜松市への音楽ホール要望

2010年09月18日 23時07分16秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月18日(土)の2 浜松市への音楽ホール要望

 直前記事の「遠州古代史ニュース 9月10日 「浜松市史 通史編」を」の続きです。

 雨宮が国民大運動実行委員会の浜松市への要望で提出した項目の2です。

 要望【50001-23】
 浜松市内に、小編成で使える、音楽専門の小ホールを建設してください。

 生活文化部 文化政策課の回答

 音楽専門の小ホールは、全国的にも少なく、浜松市では、多くの市民の皆様が利用できるよう、公共のホールはすべて多目的ホールとしていますことから、今後、音楽専門の小ホールを建設する計画はありません。
 しかしながら、アクトシティ浜松の音楽工房ホールや浜北文化センターの小ホールなどは、コンサートなどを開催するための充分な機能を備えておりますので、ご利用いただきますようお願いします。

 音楽専門の小ホールが県内や全国的にどれくらいあるのか、調べたいと思います。

 うーん、みなさんはどう考えますか?
 「多くの市民の皆さまが利用できるよう、公共のホールはすべて多目的ホールとしています」という方針だそうですが、それで、どうして「楽器の街」「音楽の街」なんでしょうか?
 

遠州古代史ニュース 9月10日 「浜松市史 通史編」を

2010年09月18日 22時54分35秒 | 遠州古代史
遠州古代史ニュース 9月10日 「浜松市史 通史編」を

 雨宮は自分の所属する団体の一員として、毎年秋に、「国民大運動浜松実行委員会」がおこなう浜松市との懇談に要望を提出しました。
 
 回答はワード文書ふぁいるで70数ページにわたります。

 この懇談は、毎年、市民の要望を諸団体で集めて文書でまとめて浜松市に提出し、浜松市からの文書回答を受けて、秋に直接、部長さん・課長さんのみなさんと、4つの分科会で午後3時間をかけて懇談をおこないます。

 そこで提出したわたしの「要望」と浜松市の文書回答を紹介します。

 要望 【50001-6】 

 浜松市政100周年を記念して、戦前編までしか出ていない『浜松市史』の通史を現代の研究結果に基づく新たな通史として原始古代から現代まで編集し発行してください。

 「浜松市生活文化部 中央図書館」よりの回答

 昭和期刊行の市史は、昭和32~38年発行の『浜松市史 史料編一~六』の6冊と昭和43~55年発行の『浜松市史一~三』(通史編)の3冊の計9冊です。これら既刊市史での記載・記述は、史料編は明治の前期(浜松県の史料)までで終っており、通史編は昭和20年8月15日で終了しています。
 戦後も60年以上を経過したこともあり、現在、浜松市ではこれら既刊の市史を補うべく新たな『市史』を編さん・刊行しております。

 刊行中の新編『浜松市史』は、平成16年末現在の浜松市域を対象に、明治期からの史料の発掘とともに、戦後の通史編を編さん発刊する計画です。
 このうち史料編は明治期~平成16年末までの史料を対象としたものを、平成21年度までに『新編史料編一~六』として6冊を刊行済です。
 通史編につきましては、今後、既刊通史に引き続く戦後編(昭和20年8月16日以降)として、平成16年末までを記述対象とした『浜松市史四・五』の刊行を計画しています。
 このため、ご要望の「新たな通史として原始古代から現代まで編集し発行」することは考えておりません。

 以上が要望と回答です。
 浜松市さんが回答していただいたことには感謝いたします。
 でも、内容的には不十分だと思います。

 みなさんのご意見をお寄せください。
 お寄せいただいたご意見は、まとめて浜松市に届けます。

 私の意見ですが、要望では長くなるので書いていないのですが、12市町村が合併した「新浜松市」という地域の新たな歴史を書かないと、旧浜松市の「市史 全3巻」に接続した歴史では体裁も整っていないと思います。

 あらたな新浜松市の100年という大きなスパンで、原始・古代・中世・近世・近代・現代をとらえなおした「新浜松史」が求められていると思います。
 いかがでしょうか?

 


雨宮日記 9月18日(土) 目が充血して午後は休憩…

2010年09月18日 22時24分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月18日(土) 目が充血して午後は休憩…

 今日の午後は、N子さんといっしょに、映画「アンダンテ 稲の旋律」実行委員会に出る予定でした。
 前回は一人で行きましたが、今回は念のため、守護女神のN子さんにお守り代わりについてきてもらおうということです。

 午後1時頃に起きて、シャワーを浴びようと、1階へ降りて台所に行ったら、N子さんが「智彦くん!どうしたの?目が充血して真っ赤!」と言いました。

 慌てて鏡を見ると、たしかに目の中が充血しています。
 N子さんが「心配だから、家で休んでいてね。私が行ってくるから」というので、午後は家で休んでいました。

 夕方N子さんが帰って来たようなので、下へ降りていくと、ぼくの間近で目をジッと覗き込んで…(最近は、そういうシーンがめったにないので、なんだかドキドキ…)言うのは「よかった。治ってる。なんだったんだろ」と。

 仕事も体もここ数日、ひどかったことはないし、通常通り、もしあるとすれば、思い当たるのは、あれかな?
 精神的疲労ですね。
 まあ、とにかく、無理をするなとの天の警告でしょうか。
 はい、気をつけます。

 写真は、のんびりするために行った喫茶店での夕食「オムカレー」です。
 おいしかったです。
 もし食べたい方は、雨宮まで問い合わせてもらえば、場所と店名をお知らせします。

本と映像の森83 木野玉枝さん『久留米木に小さな学校が…』

2010年09月18日 06時02分35秒 | 本と映像の森
本と映像の森83 木野玉枝さん『久留米木に小さな学校がありました』JRP・日本リアリズム写真集団出版局、2010年9月1日、定価1500円+消費税

 N子さんが平和の仲間からいただいた1冊です。
 浜松市の北部、北区引佐町久留米木の「久留米木小学校」が今年の3月31日で閉校になってしまいました。

 木野さんが、数年間にわたって、この小学校や子どもたちを撮影した、生き生きとした記録の写真集です。

 一番印象的なのは、自然の中で、生き生きとした表情の子どもたちです。

 ぼくの娘のiさんも、こういう素敵な学校なら、不登校にはならなかったかな、と思います。
 どうでしょうか。

 

雨宮日記 9月17日(金) ゴキブリ1匹で大山鳴動する秋

2010年09月18日 05時37分30秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月17日(金) ゴキブリ1匹で大山鳴動する秋

 夜、長女のTさんとN子さんの部屋で、大騒ぎしているので、何かと思ったら「ゴキブリが出た!お母さん、やっつけて」というTさんの悲鳴でした。

 むかし、北海道から浜松に来た人が、北海道にはゴキブリさんが居ないので「ぎゃあ!怪物が出た」と大騒ぎという実話を体験しました。

 今の清潔な家には、ハエさんもいないし、むかしは「天井で運動会をしていた」ネズミさんもあまり姿を見せないし、どうなんでしょうか?
 むかし、松城町の家で引き出しを開けたら「ネズミさんの死骸」が出てきて、大騒動した記憶がありますが。

 あいにく、我が家の「はえたたき」がどこかへ逃亡してしまって。いや「はえ叩き」自体が、そもそも死語でしょうか。
 カーマとかいけば「はえ叩き」は売っているのでしょうか?
 娘達に「ごきぶり駆除」の心を疑われないように、すぐに買いにいかないとね。

 ゴキブリさんの写真は撮影する気もしないし、素早くて撮れないので、今日は写真なしです。

 むかしと違って、ゴキブリさんの「ごきぶり密度」も減っているのではという気がしますが。
 どうでしょうか。

 ゴキブリさんは、どうやって寒い冬を越すんでしょうか。
 越冬するためにがんばるゴキブリさんに、エールを送ったりはしませんが、興味があります。
 方法がわかったら、全力で阻止したりして。


雨宮日記 9月16日(木) コオロギの声が愛おしい秋

2010年09月18日 05時15分03秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月16日(木) コオロギの声が愛おしい秋

 リーリーリーリーとメスを求めて鳴き続けるコオロギのオスの声が愛おしい秋です。
 今、パソコンを叩いている我が家の2階の外のすぐ近くで、リーリーリーとずっと永遠に鳴き続けているので、たぶんツヅレサセコオロギです。
 一番大きいエンマコオロギは「コロコロリーリー」で、ハラオカメコオロギは「リリリリ、リリリリ」だそうです。
 
 夜はだいぶ涼しくなって、昨日くらいから、夜の仕事の時に長袖シャツにしました。寒いと風邪を引いてしまいますから。
 といっても、昼間はまだ暑いです。
 この昼と夜の差で、体調を崩さないようにしたいと思います。
  
 とくに、昼間、冷房を強くかかっていると、変になるので、この時期は、注意して必ず上着を持ち歩くことを心がけています。
 
 まだ泣いていますね。
 「リーリーリーリーリー………」
 がんばれ!♂くん!
 彼女は来るんでしょうか?

 写真のコオロギは、上島2丁目で撮影しました。