雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 3月5日(月) 浜岡原発永久停止裁判第4回口頭弁論でした

2012年03月05日 16時24分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月5日(月) 浜岡原発永久停止裁判第4回口頭弁論でした

 今日は午前11時から、雨の中、浜岡裁判の第4回口頭弁論でした。

 則子さんは、昨日印刷した重たい資料をバイクに積んで、でかけました。詳しくは、ブログ「浜岡原発永久停止裁判 静岡県西部」でごらんください。

 今日は裁判にテレビ局4社が来たので、夕方のテレビニュースで見られるかと思います。




浜松・放射線量測定情報 自宅定点A地点 3月3日(土)、4日(日)、5日(月)

2012年03月05日 16時14分37秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点A地点 3月3日(土)、4日(日)、5日(月)

 2012年3月3日(土)14時39分、晴れ(雲30%)、風少し強い、気温13.6度C
 
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.045 μSv/h  
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.051 μSv/h 
  最大値 0.055 μSv/h 
  最小値 0.048 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0,048 μSv/h 
  最大値 0,055 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 2012年3月4日(日) 15時20分、雨、微風
  
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.051 μSv/h  
  最大値 0.054 μSv/h 
  最小値 0.047 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.049 μSv/h 
  最大値 0.056 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0,050 μSv/h 
  最大値 0,056 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 2012年3月5日(月) 15時42分、曇り(雨上がり)、微風、14.7度C

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.052 μSv/h  
  最大値 0.059 μSv/h 
  最小値 0.047 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.048 μSv/h 
  最大値 0.053 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0,049 μSv/h 
  最大値 0,059 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 





雨宮日記 3月3日(土) 父・節三さんの89才の誕生日でしたので、ケーキでお祝い

2012年03月05日 05時48分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月3日(土) 父・節三さんの89才の誕生日でしたので、ケーキでお祝い

 今の雨宮家は、父と次男のボクと、ボクの妻の則子さんと、ボクの次女のIさんの4人です。

 則子さんと話したのですが、4人それぞれ別々では、収入も生活も成り立たないので、4人が合わさって生活することで生きているんですね。
 
 ぼくの収入は月14万5千円、則子さんの年金は12万円、父の国民年金は5万円、次女のIさんは週5日間、ふつうにお店で働いても非正規なので、たぶん10万円以下です。

 一人ひとりでは生きていけないけど、4人で一緒に生活することで成り立ってます。

 数日前に、NHKの深夜ラジオで、雨宮カリンさんが「生活シェア」の話をしていました。つまり、一人では経済的に成り立たないので、一つの部屋を二人で借りれば成り立つ、という話です。

 経済的に、だけではなくて、生活的にも、ボクだけでは、成り立ちませんね。

 則子さんのような、お金の管理をして、いろんな支払いをして、ゴミだしをして、料理を作って、耳の聞こえない父の通院につきそって、という人がいないと、雨宮家は崩壊してしまいます。

  ☆

 父の誕生日なので、則子さんは、家の近くのケーキ屋さんで、ケーキを買ってきました。ぼくは、豆を自分で粉にひいて、自分でコーヒーを入れました。

 味にはうるさい、次女のIさんが「マックとかのコーヒーは砂糖入れないと飲めないけど、これなら、そのまま(砂糖無しで)ブラックで飲めるね」と言ってくれました。

 妻の則子さんが「こんなに、おいしいなら、喫茶店シーンに行かなくてもいいね」と言ったので「自分が入れるのと、他人が入れてくれるのとは違う」と言っておきました。

 ぼくのコーヒーは、むかし30年くらい前、名古屋の「名古屋勤労市民生協」=「めいきんせいきょう(名勤生協)」の職員のときに、生協の同僚3人で始めた「コープ喫茶」が起源ですね。

 当時の名勤生協の寮に住んでいたのですが、その寮の一角で、土曜の夜に、自主的な喫茶店を、同僚で元「コーヒー卸し」業者の矢島さんと、始めたのです。

 矢島さんから、コーヒーのおいしいいれかたを教えてもらいました。