雨宮日記 3月8日(木) 「ミツバチの日」「鯖の日」「国際女性デー」でした
「今日は何の日」というサイトを開くと「今日が何の日」か、わかります。
今日、3月8日は「ミ(3)ツバ(8)チの日」で「さ(3)ば(8)鯖の日」なんですね。まあ、だじゃれというか、語呂合わせのレベルですが。楽しむのは、いいですね。
「国際女性デー」は、以前は周囲では「国際婦人デー」と言っていて(今でも、そう言ってるかも)、ぼくは「婦人」という「成人した女性」または「結婚した女性」という限定した意味がいやなので「女性」という言葉を使います。
ですから「国際女性デー」です。
国際女性デーは、1904年(つまり、日露戦争の年)の3月8日にアメリカ・ニューよ0区で、女性労働者が女性参政権を要求しておこなったデモを起こしました。このことを1910年にデンマークのコペンハーゲンで開かれた「国際社会主義者会議」で、ドイツ社会民主党幹部で女性のクララ・ツェトキンさんが「女性の政治知的自由と男女平等のためにたたかう記念日」とするよう提唱したことから始まりました。
☆
独身女性(あたりまえか)の20代終末の女性、伊藤則子さんと結婚して30数年、「絶対的」男女平等を追求してきた雨宮としては、重視すべき日です。
かなり前に、娘に疑問を聞かれたことがあります。
「お父さん、夫婦の愛情って、自分を相手の犠牲にして差し出すんだって、いうけど、それじゃあ、男女平等、夫婦平等じゃあないよね。「恋の奴隷」(奥村ちよさんの歌です)なんじゃないの」と言うのです。
ぼくは答えました。
「それは、もっともな質問です。自分を犠牲にして相手に差し出すのが一方的なら、それは確かに「相手の奴隷」になるけど、お互いが相手に差し出すなら、「平等に奴隷」で、平等に自立していることになるんじゃないかな」と答えました。
それだけではなくて、お互いに、自分の弱さを相手に示して助けてもらう、ことも「お互い説」です。
お互いに助け合いながら、従属もせず、支配もせず、自立した人格でいながら、同時に助け合える。
「そういうものたちに、ぼくたちは、成りたいな」(もちろん「そういうものに 私は なりたい」という宮沢賢治さんの手帳のオマージュです)
宮沢賢治さんの時代から半世紀、もう「私」個人の時代ではなくて、「わたしたち」「ぼくたち」が集団的主体として、どうするか決めていく時代だと、思います。
飲みながらパソコンを打っているので、だんだん、袋小路にはまってきました。ここで、切り上げて、もう、則子さんの寝ているお布団に行き、抱きついて寝ますね。というより、抱きついて、則子さんを起こします。
「おはよう!則子さん」
あ、これ、いいですね。
二人の回想録のタイトルにしようかな?
「今日は何の日」というサイトを開くと「今日が何の日」か、わかります。
今日、3月8日は「ミ(3)ツバ(8)チの日」で「さ(3)ば(8)鯖の日」なんですね。まあ、だじゃれというか、語呂合わせのレベルですが。楽しむのは、いいですね。
「国際女性デー」は、以前は周囲では「国際婦人デー」と言っていて(今でも、そう言ってるかも)、ぼくは「婦人」という「成人した女性」または「結婚した女性」という限定した意味がいやなので「女性」という言葉を使います。
ですから「国際女性デー」です。
国際女性デーは、1904年(つまり、日露戦争の年)の3月8日にアメリカ・ニューよ0区で、女性労働者が女性参政権を要求しておこなったデモを起こしました。このことを1910年にデンマークのコペンハーゲンで開かれた「国際社会主義者会議」で、ドイツ社会民主党幹部で女性のクララ・ツェトキンさんが「女性の政治知的自由と男女平等のためにたたかう記念日」とするよう提唱したことから始まりました。
☆
独身女性(あたりまえか)の20代終末の女性、伊藤則子さんと結婚して30数年、「絶対的」男女平等を追求してきた雨宮としては、重視すべき日です。
かなり前に、娘に疑問を聞かれたことがあります。
「お父さん、夫婦の愛情って、自分を相手の犠牲にして差し出すんだって、いうけど、それじゃあ、男女平等、夫婦平等じゃあないよね。「恋の奴隷」(奥村ちよさんの歌です)なんじゃないの」と言うのです。
ぼくは答えました。
「それは、もっともな質問です。自分を犠牲にして相手に差し出すのが一方的なら、それは確かに「相手の奴隷」になるけど、お互いが相手に差し出すなら、「平等に奴隷」で、平等に自立していることになるんじゃないかな」と答えました。
それだけではなくて、お互いに、自分の弱さを相手に示して助けてもらう、ことも「お互い説」です。
お互いに助け合いながら、従属もせず、支配もせず、自立した人格でいながら、同時に助け合える。
「そういうものたちに、ぼくたちは、成りたいな」(もちろん「そういうものに 私は なりたい」という宮沢賢治さんの手帳のオマージュです)
宮沢賢治さんの時代から半世紀、もう「私」個人の時代ではなくて、「わたしたち」「ぼくたち」が集団的主体として、どうするか決めていく時代だと、思います。
飲みながらパソコンを打っているので、だんだん、袋小路にはまってきました。ここで、切り上げて、もう、則子さんの寝ているお布団に行き、抱きついて寝ますね。というより、抱きついて、則子さんを起こします。
「おはよう!則子さん」
あ、これ、いいですね。
二人の回想録のタイトルにしようかな?