雨宮日記 3月18日(日) 則子さんは家の外で忙しく、ボクは家の内で忙しく
今日は「318」ですから「裁判の日」です。え、誰もそんなこと言わないって?今、ボクが決めました。
則子さんはお昼前に、湖西市新居町で上映される映画「ヒロシマ」の会場で、被爆者援護法改定要請署名を被爆者の会の大和さんといっしょに集めるために、出かけました。
1週間前の3月11日に、浜松の福祉交流センターホールで、昼夜2回上映されましたが、ぼくは昼間の「3・11浜松行動」で疲れて、家に帰って寝ていました。
則子さんは「すごい、いい映画だよ。智彦くんも、見ないとダメだよ」って言うので、一緒に出かける気になっていたのですが、ちょっと疲れていたのと、自分の当面のパソコン編集作業が気になってしまい、午前11時頃、起きる決意ができませんでした。
則子さんに「ごめん、今日はいけそうにない」と謝って、出かけてもらいました。
則子さんは、午後は新居で、夜は、共産党の衆議院議員・佐々木憲昭さんの講演会が浜松労政会館に行ったので、帰って来たのは午後9時半頃でした。
夕食は次女のIさんがつくってくれて、父とボクとIさんの3人で食べました。
則子さんが帰って来たので「お茶、飲む_?」と、ぼくのいれたお茶を飲みながら、今日のことを話をしました。則子さんが新居町にいったら、映画を主催した湖西の原発反対の会の代表の方が、実は、ボクの妹が嫁いだ先の親戚なのだそうです。
びっくりですね。
それくらい、反原発の動きが広がっているってことでしょうか。
☆
ぼくは外にはでかけず、自分の部屋でパソコンで、浜岡原発裁判の西部ニュース「希望」第2号を編集しました。則子さんや、他の事務局の人に点検してもらい、印刷にかけます。