雨宮日記 9月2日(日)夜 秋の夜、則子さんと「イタチごっこ」「ムクドリごっこ」問答
秋が始まり、昼間はまだ暑いので、則子さんが「暑いから、そんなにそばにこないで」と言いますが、夜は涼しくなったので「第4種接近遭遇」も許可されます。「最低接近許可距離」も0センチに近くなります。
則子さんとこの前、早朝の浜松市中心部を車で走ったら、市役所前のムクドリがねぐらにしていた街路樹のケヤキは葉を落とされて、ムクドリはいませんでしたが、そこからすぐ南の連尺町を南北に走る道路のイチョウの木や、広小路辺りのプラタナスに、たくさんムクドリがぎゃーぎゃー啼いていました。
むかしは、こういうのを「イタチゴッコ」「モグラたたき」と言いましたが、最近では、都市民は「イタチ」も「モグラ」も見たことはないので、「たらい回し」という言葉と同じで、イメージがわかないと思います。
そこでぼくは「ムクドリごっこ」という言葉がいいのではないかと。
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「ムクドリ」問題を解決するには、ムクドリが増えて、街路樹をねぐらにする原因をきちんと解明しないと、どんなに「街路樹の葉っぱを墜とす予算」をかけても解決しないと思います。
そのためには、① 餌場、② 繁殖場、③ ねぐら、のそれぞれを解明して、ムクドリが増える原因を押さえないと。
市役所前の街路樹の葉を切っても、浜松城の森にムクドリがいかない原因は、やはり、ムクドリの安全が深い森では、何か、ムクドリを補食する肉食動物(肉食の爬虫類か、ほ乳類か、鳥類)がいるのではないでyしょうか。蛇?
もしそういう、捕食者がいないか、減っているなら、やはり都市の街路樹のような、異常な生態系を創ってしまった人間が責任を負って、ムクドリの捕食者になって、ムクドリを減らすのが筋でしょう。
つまり、ムクドリを猟銃で撃ち落として、焼き鳥にして食べることで、ムクドリを減らすのが責任ということでしょう。
残酷?街路樹のような異常な生態系を創ることこそ、最大の残酷ではないでしょうか。
浜松市の職員のみなさんは、市民の「ムクドリの声がうるさい」「ムクドリの糞が汚い」という苦情で大変だと思いますが「当面」の解決だけではなく、根本的な解決案を市民とともに追求して欲しいと思います。