雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月5日(水) わが家の鉢植えのミカン科の木に、青い虫が…

2012年09月06日 06時29分38秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月5日(水) わが家の鉢植えのミカン科の木に、青い虫が…

 ねこのひたいのような、わが家の小さな植え込みと、少しのスペースに置いたいくつもの鉢植えには、時々、チョウチョや蛾が飛んできます。

 暑い夏には、毎日、鉢植えの草や花に水をやり、愛情込めて育てた「子どもたち」のような気分でいる則子さんは、その草の葉に「虫」がつくと、ジブんの娘が食われているような勢いで虫をむしり取って捨ててしまっていました。

 ぼくが、フッと「虫だって、同じ生きもので必死に子孫を残そうと生きているんだから、ちょっと目こぼしをして生かしてあげたら?もしかしてキレイな帳になるよ」と言ったら、少し、反省したのか、「智彦くん、ミカンの木に青い虫が2匹いるの」というので、図鑑『昆虫』小学館、ネオネオの蝶の幼虫と比べてみました。

 なんと、どう見ても、これはアゲハチョウの幼虫です。

 これは4回脱皮した最後の5齢の幼虫です。黒い目に見えるのは、たんなる模様です。ほんとうの目は、もっと下にあります。

 今日は9月5日なので、このサナギは今年、成蝶になるのでしょうか。秋になると、サナギになったまま冬を越して、来年春にチョウチョになるようです。

 則子さん「スミレに、もっと小さい虫がいるけど」

 ぼく「それは、もしかしてシジミチョウかな」

  ☆

 雨宮家の小さな、小さな庭、小さな生態系、小さな小宇宙ですが、アゲハチョウの幼虫が見れるとは感激です。

 今、ネットでしらべてみたら『万葉集』にはチョウチョの歌が1匹もないそうです。『古事記』、『日本書紀』にも、蝶々そのものはなさそうです。なせか不思議です。

 


日本の古代史 浜松でも出土している「琴」はどんな楽器?

2012年09月06日 06時02分37秒 | 古代史を考える

日本の古代史 浜松でも出土している「琴」はどんな楽器?

 「どんな楽器って、出土した琴を見ればわかるじゃん」と言う方もあると思いますが、ぼくの言う「どんな楽器」という意味は、どんな場合に、どんな人が演奏したのか、という意味です。

 琴が単なる楽器と言うだけではなく、重要な役割をしているのは、『日本書紀』でも『古事記』でも、仲哀天皇の北九州・香椎の宮での死と、その妻の神功皇后の物語です。

 まず『日本書紀』では「仲哀天皇記」では、神功皇后に神が宿り、西に新羅という金銀の国があり私(神さま)をまつれば自然に新羅が服属すると予言します。ところが仲哀天皇は西ノ海に何も見えないのでそれを信ぜず、熊襲と戦争をして勝てず、翌年2月に死亡します。神功皇后は自分が神主となって武内すくねを呼んで琴を弾かせ、琴の頭部と尾部に幣帛を多数おいて、神の名を聞いたとあります。

 『古事記』では、もっと劇的で、ここでは神功皇后が神がかりするのは同じですが、琴を弾くのは仲哀天皇です。妻が神がかりして、夫が琴を弾くというこの方が古式なような気がします。神功皇后が「西の方に金銀の国がある。神である私は天皇にこの国を帰属させよう」といいますが、天皇は「西は海しか見えない」、偽りの神だと思ってしまい、馬鹿馬鹿しくなって琴を弾くのをやめてしまいます。重臣の武内すくねが、必死で琴を弾くように進言したので、天皇はゆっくり生半可に琴を弾いていたら、琴の音が聞こえなくなって、火をかかげると、天皇が死んでいました。

 つまり夜、真っ暗闇のなかで、琴を弾き、神託がなされるということでしょうね。

 浜松で出土した琴は、どういう場で演奏されたのでしょうか。

 遠州の遺跡・寺社・地名 87 浜松市北区都田町の郷ヶ平3号墳から馬や琴の埴輪出土 2012年08月16日