日本古代史 銅鐸の古い名称は「沼(ぬ)」?
浜松・遠州の遺跡・古墳・寺社だけではなく、日本の古代史のことも少し書いていこうと思いますが、あまり系統的ではなく、適当です。
まず日本古代史の謎「銅鐸」の名称から。 この話題は、以前に紹介した「 本と映像の森74 古田武彦さん『盗まれた神話』ミネルヴァ書房 2010年08月28日 23時05分 」に書かれていたものです。
このミネルヴァ書房版は、古田さんの以前の著書を再刊していくシリーズで、古田さんの補筆がされています。元の文章はいっさい修正はないと思いますので、良心的だと思います。
その補筆「日本人の生きた歴史(三)」の「第二 「古事記と銅鐸」論」(p411~417)で、次のような新説を述べています。
大阪府柏原市に「鐸(ぬで)神社」があり、祭神は「鐸比古(ぬでひこ)・鐸比売(のでひめ)」です(柏原市の管野拓さんの情報)。
これは「鐸神社」という古名を新しく「ぬで」と読んだのではなく、「ぬで神社」という古名に「鐸」という漢字をあてたのであると古田さんは解釈しています。おそらく正しいと思います。
そして古田さんは銅鐸というと青銅器だけを考えるが、本来の銅鐸はつるして鳴らす楽器だから、青銅器の取っ手「ちゅう」に「ひも」をかけて使う。だから青銅器と紐がワンセットで「銅鐸」ではないのか。すると。「ぬで」は「ぬ+で」、つまり「ぬ+て(手)」のこと。
古田さんは青銅器としての銅鐸は「ぬ」ではないかと予測しました。
そういう目で「古事記」のなかの「ぬ」を探すと、ありました。
まず「国生み」では「天の沼矛(ぬほこ)」とあります。つまり青銅器である「銅鐸」と「銅矛」のセットです。
ところが古事記のいちばん古い写本である「真福寺本」では「沼矛」ではなく「沼弟」なのです。「ぬの弟?」、これは当然「おとうと」のことではなくて「音」を万葉文字的にあてはめているのです。
意味は。当然「沼の音」つまり「銅鐸の音」です。
つまりイザナギ・イザナミによる日本の「国生みは」、銅鐸の音とともになされたのです。
というのが最新の古田武彦さん説です。
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以上、書いてきたことは「沼弟」と読めるなら、という前提で書いています。これが成り立つかどうか、ボクはまだ確かめていません。みなさん、自分で確認してください。
ぼくも自分で確認します。今や自称「専門家」「学者」だけに「考証」をまかせる時代ではありません。重要なのは市民自身の手による「テキスト・リテラシー」だと思います。