雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月12日(水) 運転していて横から車が…

2012年09月13日 06時34分28秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月12日(水) 運転していて横から車が…

 則子さんを助手席に乗せて家へ帰る途中、二俣街道、曳馬6丁目のレンタルショップ「つたや」から車がいきなり出てきて、ぼくはうわっと慌てて、自分のアルトをハンドルを大きく右へ切ってよけました。

 なんとかぶつからずにすんだようで、則子さんと「危なかったね。ハンドル切らなかったら、則子さんの左からまともにぶつかってたよ」「ぜんぜんあの運転手見てなかったね」

 名古屋市民生協にいたときに、朝の牛乳配達をする前提でお金をだしてもらって運転免許をとったのが1974年でした。それから38年目、今のところ警察に記録されるような「事故歴」は、ありません。「交通違反歴」は3回だけ、ありますが。

 まともにぶつかりませんでしたが、何かかすったような感じがしたので、家へ帰って、車の左側後部を点検してみたら、こすった線がありました。

 この程度ですんでよかったです。


日本古代史 銅鐸の古い名称は「沼(ぬ)」?

2012年09月13日 06時01分28秒 | 雨宮日誌

日本古代史 銅鐸の古い名称は「沼(ぬ)」?

 浜松・遠州の遺跡・古墳・寺社だけではなく、日本の古代史のことも少し書いていこうと思いますが、あまり系統的ではなく、適当です。

 まず日本古代史の謎「銅鐸」の名称から。 この話題は、以前に紹介した「 本と映像の森74 古田武彦さん『盗まれた神話』ミネルヴァ書房 2010年08月28日 23時05分 」に書かれていたものです。

 このミネルヴァ書房版は、古田さんの以前の著書を再刊していくシリーズで、古田さんの補筆がされています。元の文章はいっさい修正はないと思いますので、良心的だと思います。

 その補筆「日本人の生きた歴史(三)」の「第二 「古事記と銅鐸」論」(p411~417)で、次のような新説を述べています。

 大阪府柏原市に「鐸(ぬで)神社」があり、祭神は「鐸比古(ぬでひこ)・鐸比売(のでひめ)」です(柏原市の管野拓さんの情報)。

 これは「鐸神社」という古名を新しく「ぬで」と読んだのではなく、「ぬで神社」という古名に「鐸」という漢字をあてたのであると古田さんは解釈しています。おそらく正しいと思います。

 そして古田さんは銅鐸というと青銅器だけを考えるが、本来の銅鐸はつるして鳴らす楽器だから、青銅器の取っ手「ちゅう」に「ひも」をかけて使う。だから青銅器と紐がワンセットで「銅鐸」ではないのか。すると。「ぬで」は「ぬ+で」、つまり「ぬ+て(手)」のこと。

 古田さんは青銅器としての銅鐸は「ぬ」ではないかと予測しました。

 そういう目で「古事記」のなかの「ぬ」を探すと、ありました。

 まず「国生み」では「天の沼矛(ぬほこ)」とあります。つまり青銅器である「銅鐸」と「銅矛」のセットです。

 ところが古事記のいちばん古い写本である「真福寺本」では「沼矛」ではなく「沼弟」なのです。「ぬの弟?」、これは当然「おとうと」のことではなくて「音」を万葉文字的にあてはめているのです。

 意味は。当然「沼の音」つまり「銅鐸の音」です。

 つまりイザナギ・イザナミによる日本の「国生みは」、銅鐸の音とともになされたのです。

 というのが最新の古田武彦さん説です。

  ☆

 以上、書いてきたことは「沼弟」と読めるなら、という前提で書いています。これが成り立つかどうか、ボクはまだ確かめていません。みなさん、自分で確認してください。

 ぼくも自分で確認します。今や自称「専門家」「学者」だけに「考証」をまかせる時代ではありません。重要なのは市民自身の手による「テキスト・リテラシー」だと思います。