雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 4月28日(日) 今日はサ条約・安保条約発効の日…

2013年04月30日 06時06分26秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月28日(日) 今日はサ条約・安保条約発効の日…

 今日は4月28日です。

 1951年9月8日に日本の全権委員(代表は吉田首相)が署名した2つの条約、サンフランシスコ条約と、日米安保条約が1952年4月28日に「発効」しました。

  ぼくが生まれたのは1951年(昭和26年)8月27日で、サンフランシスコ条約の調印のために代表団が渡米する直前です。

 ぼく「雨宮智彦」の本名「信和」は、当時の新聞やラジオ報道で、サ条約を「信頼と和平」の条約と報道していたのを、ぼくの父が真に受けて、ぼくの名前に命名してしまったのです。

 ずっと自分の実名「信和」はきらいでしたが、まあしょうがないので、ペンネームは「知は力」の「知性」と、エネルギーの源泉であるわが妻の則子さんの「太陽」=「日」を足して「智彦」としました。

  ☆

 今日の「主権回復の日」政府式典に,保守のはずの沖縄県知事は出席せず、しかも天皇ご夫妻が退出する瞬間に、突然、不自然な「天皇陛下万歳!」の声。

 報道で「天皇陛下も壇上で一瞬立ち止まった」と書いてます。

  ☆

 実は「主権回復」どころか、アメリカの言いなりになって「安保条約」に調印し、当時の、今の自民党につらなる保守政権が、「主権と沖縄」をアメリカに「売り渡した」日です。

 つまり、魂をアメリカという悪魔に売った日です。

 「屈辱の日」なのか、どうかが問われています。

 あ!売った人、吉田首相以下の人たちにすれば「屈辱」も何もないですね。できるだけ有利に売るという、当然の「商行為」でしょうね。でも、二束三文で売られた側は?

 なにが信頼、なにが和平。

 

 

 


古代史ニュース 4月22日(月) 奈良県桜井市大福遺跡で「筒状銅器」発掘

2013年04月30日 05時32分52秒 | 古代史ニュース

古代史ニュース 4月22日(月) 奈良県桜井市大福遺跡で「筒状銅器」発掘

 もともとは別々の遺跡とされていた橿原市北東部の「坪井遺跡」と、桜井市北西部の「大福遺跡」は同じ「坪井・大福遺跡」と認識されるようになったようです。

 弥生時代前期から古墳時代まで継続する遺跡です。

 以下は「かしはら探訪ナビ」内の 「橿原市/坪井・大福遺跡」 を参照。 

 報道では、「弥生時代後期から古墳時代前期初頭」の地層から「筒状銅器」が見つかって、「銅鐸」を鋳つぶした再利用の可能性とあります。

 筒状銅器は、長さ9.1cm、直径2.2cm、厚さ 最大4mm、74gです。

 祭祀用の「やり」に固定する「目釘ぎ穴」があるとされています。

 そして「装飾用」?ともいう「すかし穴」があるのは、銅鐸と同じですね。

 銅鐸を作った同じ「工人」が作ったのかどうかです。

 筒状銅器は、いまのところ静岡県・岐阜県・愛知県・滋賀県など9県の10遺跡から出土していて、奈良県では初です。

 つまり、近畿の「銅鐸圏」より少し東に分布がずれて東海地方を中心にしているということですね。

 これは「弥生時代後期」なのか「古墳時代前期」なのか、考えないといけませんね。10例の出土状況がわからないと判断できないのですが、どうでしょうか。

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 報道では「筒状銅器」となっていますが「筒型銅器」とは違うとされているようです。

 つまり「筒状銅器」は、「弥生時代後期から古墳時代前期初頭」ですが、「筒型銅器」は「古墳時代前期(4世紀)後半から中期(5世紀)前半」とされています。

 つまり時代が違うのです。でも、似ている!

 この「筒型銅器」は、朝鮮半島との関係があるようです。おもしろい!

 大福遺跡の「筒状銅器」などの写真は、ネットで写真がいっぱいあるので皆さんの自分の目で見てください。

 おもしろいです!探求します!