雨宮家の歴史 父の自伝『落葉松』「戦後編 第八部 Ⅱー51 ストレス」
51 ストレス
退院して通院治療が始まった。
既に内服薬として、①「カソテック」(ビカルタミド=抗男性ホルモン剤)で、腫瘍の増殖を抑制する作用があるが、肝障害が起こる可能性があるので、それを防ぐために、② 「ウルソ」を併用する、③ 排尿障害を防ぐ「ハルナール(塩酸タムスロシン)」、④ 入院した時、高血圧食を出されたが、そのため血圧を下げる「プロプレス」,⑤ 下剤(三種類)、⑥ 入眠剤として「デバス(エチゾラム)」は抗不安剤としては強度の方で、不安をとり除いて、眠気を誘う薬である。
これらの薬は一回に十四日分しか出せないので、二週間毎の通院となる。
通院の度に検尿がある。紙コップに採尿するのであるが、排尿傷害だった身としては、最初はうまく採れず苦労した。慣れるに従い、湯飲みに二杯ぐらいのお茶を飲んで、尿意を催して来たら出かけると、ちょうど病院での採尿に間に合うようになった。いつも、オシッコはきれいですと言われている。
二ヶ月に一度採血して、前立腺ガンの指標となるPSAを検査する。四週間に一度、前立腺ガンの男性ホルモンの分泌指令を狂わせて分泌を抑える「LHA・RHアゴニスト(酢酸リュブロリンー商品名「リュウブリン」、武田薬品の製造で、武田はこれで大当たりをした)」を腹の臍の下あたりに皮下注射する。これが、前立腺ガンの増殖を抑制するのである。ガンそのものが消えてしまう訳ではないので、注射を中止すれば、ガンは増殖して転位する。年末まで五回の注射でPSAが〇・〇九まで下がった.一年ぐらい経って〇・〇一となり(十四回の注射)これが最低値であったから一応ガンの転位とか増殖の心配はなくなった。薬も四週間ー二十八日分が出せるようになって、月一回の通院となった。
二年目の年末には、注射も三ヶ月で一回で済むようになった。これはリュウブリンが濃縮されて、三倍の濃度になったのである。
しかし、薬価は月一回分は五万六千円であったが、三月に一回分の方は九万八千円になった。これに飲み薬約五万円分野採血・採尿の検査料を合わせると十五万円程になる。保険で一割の支払いであるから、注射月は一万五千円必要で、注射のない月でも五千円はかかった。それに家内の入院費が月十五、六万円かかる。長男が毎月補助を出したり、保険が出たり、預金より下ろしたりと何かとやりくりしていたが、よく保ったものだと思っている。
ガンの指標は減っていったが、体調は発病前と同じという訳にはいかず、頭がふらついたり、夜は排尿障害の薬のため二、三回はトイレに行くので、朝までぐっすり眠るということはなかった。トイレに行けば、オシッコは日中よりも量が多く出るくらいで、出なくて困る訳ではなかった。
天気が良ければ,自転車で家内【当時、天王町に入院中だった】の入院先へ洗濯物を取りに行ったりして気を紛らわせていた。
「ガン」を告知されたとき、最初に私の頭に突き刺さったことは、「ガン=死」ということであった。先生の方は、治るガンであるから、軽い気持ちで言ったのであろうが、受け取る私の方としては,何も知らないから、一般に流布されている「死」ということを考えたのであった。内分泌(ホルモン)療法で、PSAの値が四ヶ月ほ程経って〇・〇九と大きく下がって、明るさが見えて来たので、「死」の心配は一応遠のいたが、「ガン」自体は残っているのであるから、完全に安心する訳にはいかなかった。リラックスして忘れ去ろうとするが、どうしても頭の中の片隅に残るのである。
師走も半ばとなった十二月十三日、朝から胃がむかつくようになった。口の中がいがらっぽく、生つばが出てくる。朝食からおかゆである。風邪薬の故かなとも思って、風邪薬はやめた。くず湯を呑んで身体を温めたりしたが、結局、その夜は一睡も出来ず、一時間毎にトイレに行って、夜の明けるのを待った。
近所の胃腸専門の内科医は、「風邪のビールスが胃に来たのだろう」とナウゼリン(吐き気)やガスター(H2ブロッカー)の胃ぐすりを調合した。夜、ガンのくすりと共に、全部で十種類ぐらい一度に服んだところ、中毒症状を起こしたかと思うほど胃がまた気持ち悪くなり、十五日も夜半一睡も出来なかった。そうかと思うと何ともない日もあり、一日中口が苦くて不快な日もあった。
二十五日、泌尿器科の診察の日、消化器内科へ廻わり、年が明けた一月十日、胃カメラ検査と超音波診断も受けることになった。それまで躰が保つかなと思ったが、果して二十七日の夜になって、また一睡も出来ない状態となった。三回目である。二十八日の明け方、病院の救急医療室へ連絡して出かけた。しかし、当直医は専門医ではないので、外来が始まるまで、整形外科のベッドで休んでいた。
ちょうどその日は、年末最終診療日で、先日の消化器内科の先生の診察の日で一番の診察に廻してくれた。付き添っていた次男の嫁さんは、近くのコンビニで弁当を買った。
結局、胃カメラ検査も繰り上げ実施することになった。バリウムを飲むレントゲン検査は二回程やっているが、胃カメラは初めてである。胃カメラがのどを通るのであろうかと不安であるが、年末でも受診者は順番待ちである。のどを麻酔するため、口の中ののどに近い方にドロップ錠を含んでいたが、しびれて来たようだなと思っていたら,飲み込んでしまった。
順番が来て診察台に左を下にして横になると、鎮静剤の点滴注射を始めた。長い胃カメラファイバースコープを口の中へ入れたようであったが、うまくのどを通らないのか、私はゲーfゲー吐く時のような音を出して、最初は失敗であった、
二回目は知らない間に入って、胃カメラの映像が映っている受像器が正面にあって、赤い胃壁が見えた。検査員は「胃はなんともありませんね」と、知らぬ間に胃カメラは抜かれていた。
鎮静剤を点滴していたので、すぐ車椅子で内科外来のベッドへ行き、寝かされた。規定で検査が終わると二時間ほど休むことになっているからである。
胃カメラを入れただけで、こんなに胃が何ともなくなるとは思ってはいなかった。二時間待つほどもなく、一時間ほどで看護婦が私の状態を見て「もういいでしょう」と医師の室へ連れていった。
消化器内科の先生は胃カメラ検査の胃のカラー写真を私に見せて、「この通り胃は健在で異常はありません。ストレスが胃を刺激して胃酸過多の状態になったのでしょう。安定剤を出しておきますから、ゆっくりと余計な心配はしないで、リラックスして下さい」と言った。
これも排尿障害と同じく、自律神経の不調よりなったと思う。「50 膀胱手術」でも前述したが、自律神経には交感神経と副交感神経があって、これらは脳の中枢からの指定により調整されている。それが何かの不安とか、ストレスが加わると極端に片よって機能するようになる。特に脳の迷走神経は胃の運動と胃酸の分泌に密接に関連して、様々な異常を起こす。
私の場合も、ストレスが胃の神経を高ぶらせて、胃酸の分泌を促進させて、余分な胃酸が口の中に入って来たのだろう。口の中が苦く、胃が動くのが分かるのである。これがひどくなれば、胃潰瘍などになってしまう。幸いそこまで行かずに済んだが、それを防ぐには過労にならないように注意し、入浴して血行をよくすること、特に不安にならないように笑いが必要だという。
現代人は、つい多忙に紛れて笑いを忘れているようだ。自分なりの人生哲学をもって、明るく前向きに生きてるに限る。希望・意欲・愛・快活・ユーモア・信頼・感謝などは、笑いに類化してストレスを緩和する。