雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

『落葉松』「第2部 文芸評論」 ⑩ 「戦後文学は古典となるか 3 野間宏」

2017年08月30日 15時15分29秒 | 雨宮家の歴史

『落葉松』「第2部 文芸評論」 ⑩ 「戦後文学は古典となるか 3」

  3 野間宏

 私が最初にひもといたのは野間宏の『真空地帯』であった。一晩徹夜して読みあげたのを覚えている。野間は軍隊を召集解除になって内地におったから、いち早く復帰して『暗い絵』により登場したが、『真空地帯』は昭和二十七年書き下ろしによって刊行された。軍隊の内務班を主題にしたものであるが、その中に私が遭遇した事件と同じことが書かれていた。

 「彼の身体によみがえってくるものは、看守の命令に従わなかったという理由で、皮のさく衣を胸にはめられ、訓練所にひきだされて水をぶっかけられたときのことだった。さく衣は皮でできていて、水をかけるごとに引きしまり、彼の骨と胸は内へ強く締めつけられ、彼は一分ごとにうめき、わめかなければ呼吸が出来なかった。彼の口はよだれと砂とでべたべたによごれ、彼のだらんとした身体は、冷たいどろの土の上にほうっておかれた。そして彼は気を失った。(文献⑦)」

 朝鮮平壌郊外の軍需工場に勤めていた私は、昭和二十年初頭召集を受けて平壌の朝鮮第四十四部隊に入隊した。レイテ島で散滅した歩兵第七十七連隊の留守隊であった。米軍の上陸に備えて、南鮮に展開する野戦部隊の編成のためであった。

 出動も間近になったある日、日夕点呼(につせきてんこ)のあと待機を命ぜられた。仮住居の武道場の中央に逃亡して捕まり、中隊に戻された一人の朝鮮籍の兵士が立たされていた。

 朝鮮に徴兵制が施行されたのは、前年の昭和十九年であった。日本語のわからない壮丁がいるからと朝鮮総督府は反対したが、閣議で強行決定された。

 彼の中隊の人事係准尉がむちを持って待っていた。むちは彼の身体にまきつき、床に転がった。「起て」准尉の怒号にふらふらと起きあがった彼に容赦なくむちの嵐が飛んだ。皮のさく衣がまかれた彼の身体に水がバケツからぶっかけられた。『真空地帯』と同じ状況であった。彼のその後の状況はわからなかったが、軍隊の陰湿な部分を見せつけられ、民族の対決が軍隊にまで及んだ思いであった。

 南鮮に展開していた私の所属する野戦部隊では、『真空地帯』のような内務班は既に崩壊していた。大岡と武田は、軍隊も地方とつながりがあり、決して「真空地帯」ではないと否定的意見であったが、自由がないのは確かであった。

< 次回 「4 武田泰淳と堀田善衛」へ続く >