『落葉松』「第2部 文芸評論」 ⑤ 「「引馬野」の歴史的、地理的考察 5」
四、持統太上天皇
『万葉集』は、上は天皇より、下は名も知らぬ防人(さきもり)たちまでの歌で編み出された浪漫性あふれる大叙事詩であったが、その裏には大化の改新や壬申の乱など、骨肉相食む抗争が繰り広げられていたのである。万葉人のあまり細かいことにこだわらぬおおらかな心どころではなかった。大宝律令の発効によりやっと政権が安定して来た七〇二年、持統太上の三河御幸が実現したのである。
「一、大宝二年(七〇二年)」で日程を簡単に記したが、『続日本紀』にその明細を見てみよう。
「文武天皇 大宝二年
冬十月甲辰(十日)、太上天皇、参河国に幸したもふ。諸国をして今年の田租を出だすこと無からしむ。
十一月丙子(甲子朔十三日)、行、尾張国に至りたまふ。
庚辰(十七日)、行、美濃国に至りたまふ。
乙酉(二十三日)、行、伊勢国に至りたまふ。
丁亥(二十四日)、伊勢国に至りたまふ。行の経過ぐる尾張・美濃・伊勢・伊賀等の国の郡司と百姓に、位を叙し禄賜ふこと各差有り。
戌子(二十五日)車駕、参河より至りたまふ。駕に従へる騎士の調を免す。
戌戊(十二月六日)、星、昼に見る(注:星は金星が昼に現れるのは兵革の兆とされるが、これは持統太上死去の兆か)。
乙己(十三日)、太上天皇不豫(みやまい)したまふ。天下に大赦す。(病気平癒祈願のための大赦)
甲寅(二十二日、注ー十二月二十二日であって、新暦に直すと年が替わり一月十九日となる)太上天皇崩りましぬ。遺詔したまはく、「素服、挙哀する啼勿れ、内外の文武の官のり務は常の如くせよ。喪葬の事は、勤めて倹約に従へ」とのたまふ。」
「十月十日」「参河に御幸したもふ」ということは御幸に出発したということであろうから、次の尾張に至った十一月十三日まで、約三十三日の空白があるのである。参河に至った日付も不明であるので、実際に参河に滞在した日数も明らかでない。そして、帰りの日付より数えると、尾張に四日、美濃に五日、伊勢に二日、伊賀に一日で藤原宮へ着き、七日たって発病、十日程して崩御ということになっている。
全行程四十五日である。六七二年の伊賀、伊勢、志摩行幸の時は三カ国を回っても十五日間で済ませている。それを思うと、四十五日間というのは長すぎる気がする。そして帰りは四日、五日、二日、一日とだんだん急行軍となり、帰って発病、崩御ということは参河での滞在期間に何か問題があったのではないか。気丈な女帝であったが、永年の戦乱の疲れが出たのではないか。
ましてや五十八才という年令である。宮地山の山頂は寒い山の上である。暖房設備も完備していなかった行在所ではないか。風邪でも引いて寝込んでしまったのではないかと私は推測するのである。「引馬野」の歌はその時、生じたのである。病いの女帝を看病していた女官たちを慰めるため、一日、行在所をくだって、御津海岸へ出て、遊んだ時の歌となった。
そして、病癒えて或は病の途中であるが動けるようになって、あわただしく、尾張、美濃、伊勢、伊賀と回って帰京したのである。そして、病の公表、崩御と続くのである。
新日本古典文学大系の『続日本紀(一)』の補注にて、「参河国逗留の間の記事を欠くのは、不審である。」と編集者が述べている。『続日本紀』の編集について、同書の上表文で「故実を司存に捜り、前聞を旧老に詢ひ、残簡と綴叙し。欠文を補てんす」とある。
前半(六九七年~七五八年)の六十一年に対し、二三二頁。後半(七五九年~七九一年)の三十二年に対し三〇一頁を費している。前半の記事は後半に較べて約半分である。材料が少なかったこともあろうが、かなりの削除、圧縮が行われたとも考えられるとのことなので、参河滞留三十三日間の空白も、記事にするのを考慮したのかも知れない。
それを還幸の日程のあわただしさと、発病の公表、崩御とつづく事実は、持統女帝は病いに倒れたのではないかと推測する次第である。その空白期間に「引馬野」の歌が生まれたのである。
五、結び
山下杜夫氏が『浜松市民文芸三十年誌』の「引馬野についての論争」の中で、今までの学者が触れなかった別の方面から、別の角度から引馬野の所在を追求するのも一つの方法であると述べられていた。私はそれに基づいて、持統太上天皇の参河巡幸路とその期間より論究してみたのであるが、結果は残念ながら、参河であるとしか結論が出なかった。もとより浅学非才の身、更に学究諸氏の研究発表を待つものである。
(備考)巡幸日程の旧暦と新暦の対照は概算なので、確定した日ではない。
(参考引用図書)
中西進『万葉集及万葉集事典』講談社文庫
土屋文明『万葉名歌』現代教養文庫
土屋文明『万葉集私注』筑摩書房
新日本古典文学大系『続日本紀(一)』岩波書 店
御津磯夫『引馬野考』三河アララギ会
『(伊場遺跡発掘調査報告書第一冊)伊場木簡』 浜松市教育委員会
坂本太郎『上代駅制の研究』至文堂
橋本進吉『古代国語の音韻について』岩波書 店
伊藤通玄他『浜名湖』浜松三省堂
内山真龍『遠江国風土記伝』谷島屋
杉浦国頭『曳馬拾遺』谷島屋
『土のいろ』十五巻一号、昭和十三年三月
松浦静雄『日本古語辞典』刀江書院、昭和十 二年