古代史を考える 5月11日は岐阜・長良川の「鵜飼い」開きです
馬込川を散歩すると、かなりの確度で、1羽の鵜が川面を沈んだり、浮いたりして魚を食べています。
この鵜の習性を利用して、人間が「鵜」を使って魚を取るのが、有名な「長良川の鵜飼い」です。
そこでは夜間に、かがり火をたいて、紐で首を結んだ鵜を使っています。
高校教師で歴史学者の加藤文三さん(加藤さんは鬱になったので、ぼくは「同類」だと勝手に「仲間」扱いしてます…)の傑作『民謡歳時記 上』青木書店、p226~228によれば、夜ではなく昼、紐で結ぶのではなく放し飼いが鵜飼いの東アジア「古代」での姿ではないかと、しています。
そして、そういう「鵜飼い」地帯は、日本列島から海を越えて、中国、ベトナムj、インドまで連なっている。
「鵜飼いベルト」は、森林で「照葉樹林」地帯、穀物では「稲作ベルト」と三重に重なっている、と加藤さんは説いています。それ、正しいですね。
日本列島の「鵜飼い」の北限は、秋田県の田沢湖と岩手県の雫石付近を結ぶ線で、それ以北は、稲作の普及が遅れたところです。
世界最古の鵜飼いの記事は、なんと中国の7世紀初頭、『隋書』「東夷伝倭国条」に書かれた記事です。
謎なのですが、朝鮮には鵜飼いの記事がありません。沖縄にも、台湾にもありません。
記事がないのは「鵜飼い」がなかったからだと、誰か証明しませんか?
デューク・エイセスの「にほんのうた」の岐阜で「マンボ鵜」がありましたね。
「ユラユラ メラメラ
キラキラ ブラブラ
長良川の屋形船 ユラユラユラユラ
舳先のかがり火 メラメラメラメラ
波にうつる火 岐阜提灯
キラキラキラ ブラブラ
鵜匠があやつる 鵜
僕はあなたの 鵜
夜は二人で ウッ!…」