古代史を考える 九州・福岡県・久留米市の「高良神社」と「高良山」
日本古代史の総論では、「高良神社」や「高良山」は、ほとんど無視されていると思います。「無視してない」「有視している」例がもしあったら、教えてください。
無視していない歴史学者は、古田武彦さんや古賀達也さんです(注:古田さんや古賀さんのすべての著書・ブログを信頼せよとは言っていません。古田さんや、古賀さんの言説の中には、ぼくが自分で精査して取り上げるべき事実と論理があると言っているだけです)。
詳しい紹介は、別シリーズにしますが、今日は、自分で地図を見て発見した事実を一つだけ紹介します。
以前に買っておいた『県別マップル道路地図40 福岡県 広域・詳細 県内全域3万分の1』昭文社、2001年、を見ました。
「筑後一の宮」である「高良大社」は、この地図で測ると、あきらかに「高良山」から夏至の日没が沈む位置です。確度で、約28度。
言い換えると、高良神社から高良山は、冬至の太陽が昇る位置にあるということです。
冬至の太陽が高良山から昇る位置に、高良神社が建てられたということです。
これは明らかに、太陽信仰です。どうして、こんな大事なことに、みんな、気づいていなんでしょうか。
この高良大社に祭られた神さまは、3神。
① 高良玉垂命 ② 八幡大神 ③ 住吉大神
一番の問題は、最初に出てくる「高良玉垂命」ですが、これは別途書きます。
ネットで「高良大社」「高良神社」「高良山」「九州王朝」などで検索すると、かなり多い事実がひっかかってきます。
ぜひ、自分で事実と論理を考えて、判断しましょう。