古代史を考える 『朝日新聞9月24日(木)』夕刊(3)面「美術 金銅製心葉型杏葉」
古墳時代のハート型(心葉型)の馬具です。福岡県沖ノ島から出土した逸品です。
記事では「どこでrつくられたのか」と題して、本文で「沖ノ島出土の古墳時代馬具は100点以上。製作地も、朝鮮の新羅、大伽耶(だいかや)、さらには倭(日本)までが想定されるなど国際色豊かだ」とあります。
つまり、この沖ノ島に奉祭したのは倭国だけではなく、朝鮮の新羅・加羅なども想定されるのではないでしょうか?この海峡をはさんだ倭国と朝鮮はイギリスがフランス本土に領土を持っていたように、、倭国=朝鮮二重帝国だったのではないでしょうか。
それにしてもここに、百済の影もないのは、なぜでしょうか。
百済=日本連合が記紀からは推定されますが、新羅・伽耶=倭国連合とは対立しますね。朝鮮半島と日本列島を舞台にして、2つの連合が敵同士で交錯していたのではないでしょうか。
その決戦が「磐井=継体戦争」だったのでは?
そして再び再興した九州勢力が隋唐時代の「倭国」「タリシホコ」だったと思います。
そしてこの倭国を鎮圧した飛鳥日本国は、親百済路線で、白村江の戦いで百済=日本連合として新羅=唐連合に決戦を挑みますが、惨敗。倭国は唐に占領されますが、日本まで唐が侵攻する力はなく、なんとか独立を保ったのが701年に始まる日本国です。
つまり、それまで九州倭国を日本列島の代表者として認めていた唐が、奈良の日本国を日本列島の代表者として公認したことから、日本の遣唐使が始まります。
あ、かなり暴走しましたね。この正否は、みなさん、自分で検証してください。参考はむかしの古田武彦さんの著書。最近のではありません。最近の古田さんの説は、汚染されてますからね。もしくは精神コントロールともいいます。