新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

医学部新設問題:正反対の二つの意見を考える

2012-06-28 20:53:25 | 医療

風呂上りにビールではなく、サクランボ食べています。

 

やはり6月と言えばさくらんぼですよねw

 

さて、もう一つ今日の記事としてこちらを紹介します。

CBからです。医師不足に関しての医学部新設問題。いろいろな意見はありますが…正反対の意見を二つ

 

あの人に聞く医学部新設(4)- 医師は既に十分養成されつつある

【吉村博邦・全国医学部長病院長会議顧問】

■いずれ定員減は明らか、なぜ新設するのか

 医学部新設の根拠の一つとして、医師不足を挙げる声がありますが、既に医師は十分養成されつつあります


 2008年度以降、医学部入学定員はこれまでに1366人の増員が図られており、これは、定員100人の医学部を既に13校新設したのとほぼ同じ効果を持っています。当時の日本の医師数は人口1000人当たり2.1人で、経済協力開発機構(OECD)加盟30か国の平均3.1人を下回っていました

 ただ、医学部定員増を行う前の07年度の入学定員は7625人で、当時の18歳人口は130万人です。つまり、18歳人口1000人当たりの入学者は5.9人で、定員増の前でも、OECD平均である人口1000人当たり3.1人の2倍近いペースで医師が養成されていたことが分かります。今年度の定員は8991人で、18歳人口は119万人なので、18歳人口1000人当たり7.6人という、極めてハイペースで養成されています。

 国立社会保障・人口問題研究所の50年の18歳人口の予想を基に、今年度の医学部定員数が維持されると仮定して計算すると、18歳人口1000人当たり11.7人もの医師が養成されることになります。

 ある一定の年代の中で医師養成数には、おのずと限度があってしかるべきです。医学部卒業後は50年近く、医師として働くことを考えると、毎年OECD加盟国の平均の医師数をはるかに上回る水準で医師を養成し続ければ、そう遠くない将来に医学部定員数を減らす必要があるのは間違いありません。減らすことを分かっていながら、新たに医学部を新設する必要は全くないと思います。

■「余ってもいい」は若い医師らへの冒とく

 医療の高度化により、必要な医師数が増えるとは限りません。例えば、がんを完治させる抗がん剤が登場すれば、必要な外科医の人数が少なくなる可能性もあります
。また、高度化した医療を、すべての国民に平等に提供するのは、財政的に難しいでしょう。将来的には、標準的な医療は低負担の保険医療で提供して、先進的な医療には相応の負担を求めることなども必要になるかもしれません。国民がそれを望むかどうか、国民が求める医療によって、医師の必要数は変わってきます。

 また、医療需要の増加に、医師の増員だけで対応するのは、経済的に厳しいと思います。医師以外の職種、例えば認定看護師などの力を活用していくことも考慮すべきでしょう

 「多少、医師が余ってもいい」という意見もあるようですが、これは若い医師や医学部生たちへの冒とくです。一人の医師が受け持つ患者数は少なくなり、経験を積む機会が損なわれます。また、海外の例を見ると、イタリアやスペインでは、医師が増え過ぎて、医学部を卒業した後も医師のポストが空くのを待っているような状況が起きています。

 医学部の新設でもう一つ懸念しているのは、医学部に入りやすくなることで、医学生の学力が低下しているのではないかということです。全国医学部長病院長会議が実施した調査では、医学部定員を増加して以降、医学部1年生の留年者の割合が増加しているという結果も出ています。

■地域偏在に医学部の新設以外で対応すべき

 
地域偏在の解消のために医学部を新設するのは、現実的ではありません。その地域の医師養成数を増やすだけなら、そこにある既存の医学部の定員を増やしたり、分院をつくったりすることで対応できます。
 医師が少ない東北地方で、医学部新設を検討する動きがありますが、08年度以降の定員増で、最も定員が増えたのは東北地方です。07年度と12年度の医学部定員を比べると、全国80大学の合計が1.18倍に増えたのに対し、東北地方にある5大学では1.34倍に増えています。

 また、医学部新設により地方の医師不足を解消したとしても、将来も同じだけの医療需要があるとは限りません。人口が大きく減る地域も出てくるでしょう

 地域偏在は、医学部の新設以外で対応すべき問題です。例えば、地域枠の拡充や、医学部卒業後、数年間は交代でへき地での研修や勤務を義務化する仕組みなどが考えられます。「職業選択の自由」との兼ね合いが問題視されるかもしれませんが、医師養成は国費で行われているのですから、学費を奨学金に振り替えるなど、何らかの工夫をして義務化することが必要だと思います。

 また、神奈川県では、黒岩祐治知事が英語などを授業に取り入れた国際的な医学部の新設を目指しています。わたしも医学における英語教育の必要性は感じています。ただ、新設という形ではなく、既存の医学部に外国人教授を招聘したり、英会話の実践や英語論文の指導を行ったりするなどして、現状の医学教育の底上げを図り、質を上げていくことの方が必要だと考えています。【聞き手・津川一馬、高崎慎也】

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あの人に聞く医学部新設(5)- 地域主権で医師養成を

【上昌広・東大医科学研究所特任教授】

■国は地域の声に応えるべき
 東北地方では現在、大学医学部の新設をめぐる議論が活発化しています。仙台厚生病院を運営する厚生会と東北福祉大は、医学部を新設する構想を進めていますし、東北市長会は今月初旬、医学部新設を求める要望書を文部科学省に提出しました。また、地元紙の河北新報は、東日本大震災からの再生に向けた提言の中で、臨床に重点を置いた医学部の新設を推進しています。一連の河北新報の報道を通じ、東北の人々が医師不足の現状を把握し、医学部新設の意義を認識するようになりました。これは、ボトムアップの合意形成と言えるでしょう

 仙台厚生病院には100人以上の常勤医師がいます。また、同病院の目黒泰一郎理事長は、医師招聘は東京や西日本を念頭に置いています。現に、東日本大震災以降、福島の浜通りには、東京、京都、九州のような医師が多い地域から常勤医として赴任しています。このような事実を考慮すれば、周辺の医療機関に影響を及ぼすことなく、国の設置基準をクリアできるでしょう。

 手を挙げている医療機関と大学があって、住民の要望があるにもかかわらず、医学部の新設は現在、閣議決定による大臣告示で認められていません。医学部は何のためにあるのか―。それは地域住民のためです。地方分権の流れの中、地域のことは地域で話し合うべきではないでしょうか。東北に関しては、市民のコンセンサスができているので、後は政治の判断になります。今、民主党の幹部の在り方が問われているのです。

 東北地方が医師不足なのは明白です。医師は西日本で多く、医学部も西に偏在しています。わたしは「西高東低」という言葉をよく使います。西日本では、人口100万-150万人圏内に少なくとも1校は医学部があります。人口200万人以上の大きな県で1つしか医学部がないのは、西日本では広島県だけです。医師数に影響を与えるのは、都会か田舎かではなく、医学部の有無なのです。

 関東地方は医学部が少ない。千葉は人口600万人圏内に1校、埼玉は防衛医科大学校を含め720万人に2校、横浜市は 390万人に1校です。一方、高知県は400万人に4校、北陸では500万人に5校ある。これは、1300万人圏内に13校ある東京と同じ規模です。

 医学部数が多い地域の方が、臨床研究のレベルも高い傾向にあります。例えば、旧帝大の医師1人当たりの臨床論文数を見ると、西日本にある京大が最も多く、次いで阪大、名大、東大です。東日本にある東北大は逆に最も少ない。これは、悪く言えば競争がないからです。見方を変えると、医師が少ないため、地域医療に従事している先生が多いということでしょう。東北の医師不足は、東北大だけで間に合うレベルではありません。新たな医学部ができれば、東北大との間で良いライバル関係になると思います。

■「医師は余ってもいい。足りないことが問題」
 最近、関東の医師不足が深刻化しています。さいたま赤十字病院は今月から、小児科の専門外来の新規患者の受け入れを中止しました。また、同じ埼玉の志木市立市民病院では、小児科の入院患者の受け入れ休止が問題になりました。その南に位置する東京の練馬区では、日大が練馬光が丘病院の運営から撤退し、特に小児救急に影響が出ています。これらはいずれも近接しており、今、関東に広大な“無医村地区”ができているのです

 医学部の新設が教員不足につながるとの指摘もありますが、それは高度経済成長期の発想です。ゼロからスタートしようと考えるから、論点がずれてしまう。東大と同規模の医学部をつくろうという話ではありません。例えば、徳洲会や上尾中央医科グループなど、多くの医師を抱える病院グループと連携するという方法もあるでしょう。医学部の創設を希望する大学の分校という形も考えられる。福島県立医科大の教員は200人程度ですから、それぐらいあれば十分だと思います。

 厚生労働省は、「定員を3割増やせば十分」と主張していますが、そこに医師の高齢化の要素は含まれていません。医師の高齢化が進めば、当然、労働力は低下します。さらに医療の高度化の問題が入ってきます。出生数がかつての半分以下に減っているのに、産科と小児科の医師が足りないのはどうしてでしょうか。厚労省や日本医師会の言い分が正しければ、小児科医と産科医は大量に余っているはずです。さらに、医療安全の観点から、世界的に医師の労働時間の規制が掛かっている現状も反映されていません

 わたしたちが情報工学者と共に行ったシミュレーションの結果では、日本の医師不足は2050年まで悪化し続けることが分かっています。「将来的に医師が余る」というのが、業界団体が医学部新設に反対する理由ですが、われわれの推計ではその結論に至りませんでした

 さらに言えば、医師が余っても住民は困らないのです。むしろ、足りないよりも余っている方がいい。不足していることが問題なのに、余ることを反対の根拠にするのはおかしいでしょう。わたしたちと厚労省のどちらが正しいかは、国民の視点に立った科学的な議論が必要だと思っています。【聞き手・敦賀陽平】

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ちなみに

あの人に聞く医学部新設(1)- 中長期ビジョンで医師養成を

あの人に聞く医学部新設(2)- 医師不足の解消に有効でない

あの人に聞く医学部新設(3)- 医師定着システムを持つ医学部新設を

もあります。

 

さて、上の二つは対照的な意見だなぁと思って取り上げましたが皆さんはどうお考えでしょうか。

 

医学部長病院長会議の代表という意味でどうしても「医学部新設」による自分たちへの悪影響を考えてしまっているように見えるというのが僕の印象です。この記事の中でおっしゃられている「がんを完治する抗癌剤」というのがすごく非現実的なんです。

僕も以前書きましたが「もし万能薬のようなものが誕生すれば、大幅に必要医師数は減るだろうが、現実的でない」と思います。

 

仮にですがある薬を飲めばすべてのがんが根治できるようになるというのはなかなか難しいように思います。僕はちなみに30過ぎた今になってもそれを目標にはしていますが、今の時点ではある種の腫瘍を完治させうる薬はできたとしても、100%治す薬はできないでしょうし、すべてのがん腫をというのは非現実的です

腫瘍と感染症を一緒にするなと言われるかもしれませんが、腫瘍細胞も細菌と同じように薬に対する耐性を獲得していきます。そういうものが生き残っってしまう。それをうまく克服しながら治療をしていくわけですが・・・

また、A薬を飲んだら大腸癌の多くが治るとしても、すべての大腸癌ではなくてある種の大腸癌ということで、それが効く腫瘍かどうかを診断する必要はあります。転移した先の腫瘍が全く同じ性質の腫瘍かどうかもわからない(形質転換しているかもしれない…性質が変わっているということです)。そしてそれらに対してどうするかをまた考えていく。

助けれる人を助ければ、他のマイナーなグループは無視するというなら別ですが、そうはならないでしょう。そして患者さんは個人個人で違います。前も書きましたが、僕は内服抗癌剤2つ+αで緩和ケアをやっていた急性骨髄性白血病の患者さんが完全寛解に入ったのを経験しました。患者さんによって様々なことは起こります。いいことも、悪いことも。

 

今、医療費抑制を考えなくてはいけない、新しいパイが出てこないという前提で話をしているので、非常に医師数を増やすということが難しいと思っていらっしゃるのだと思います

しかし、仮に人口が減ったとしても先程の記事にも書きましたが「面積当たりの医師数の減少」が大きな意味を持っています

島根県の医師不足:人口当たりは十分でも面積あたりが不足

人口当たり医師数がかなり少ない首都圏(埼玉県、茨城県、千葉県、神奈川県)は成り立っているとは言えないながらも、どうにか患者を回しながらやっています。しかし、先程の記事のように島根は人口当たりの医師数は平均より多いのに面積当たりでは北海道や岩手と同様カバーしきれていない。

人口だけで語れないのだと思います。

 

僕は今の時点で言えるのは交通網整備や今は想像もできないような搬送手段の確保により、病院までの時間的距離が短くなれば必要医師数が減るかもしれませんが、今のままならば人口当たりの医師数が減ったとしても厳しいかもしれないということです。

 

東大医科研の上先生の話に関して、僕はおおむね賛成です。ただ、僕は医学部新設による教員数不足が気になるというのは持論でして、いつぞやの記事で「仙台厚生病院や国際福祉大などはどうにかなるかもしれないが…」と書きました。数年後に再評価して医学部新設への舵を切るかどうか。時間が遅くなった分、将来助けられる患者さんの数が減ってしまうといわれれば、僕は反対できませんが

 

ただ、医師が不足しているというのは共通認識で同じです。おそらく医学の発展とともに必要な医師数は増えると思っていますし、高齢化の影響もあると思います。もしかすると日本人は世界に、宇宙にと出ていくようになれば(前も書きましたが、宇宙放射線の問題がありますので…その専門医療を確立すると日本は宇宙開発の先頭に立てるかもしれませんよ)やはり足りないと思うのですよね。

 

僕はそう思いましたが、皆さんはどう思われましたか?

 

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島根県の医師不足:人口当たりは十分でも面積あたりが不足

2012-06-28 19:55:52 | 医療

さて、続けます

県別医師数(人口別)では決して少なくはない島根県。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/06/kekka1-2-4.html

しかし、面積別医師数は圧倒的に少ない県の一つではあります

http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpax200701/b0047.html

その島根県の話です。

 

 松江赤十字病院は27日、救急医療を担当する救急部の医師が、来月1日から1人になると発表した。

 これまで2人態勢を続けてきたが、うち女性医師1人が今月末で退職。後任の医師が配属される見通しは立っていないという。秦公平院長は「松江市の医療にとって危機的状況」として、他の病院にも医師の派遣を呼びかけている。

 同病院は2004年4月、救命救急センターを開設。センターで救急患者の診療を担当する同部にはピーク時、医師が6人いたが、徐々に減少。女性医師は実家の開業医を継ぐために退職するといい、同部の医師は佐藤真也救急部長1人となる。

 同病院は島根大医学部などに医師の派遣を求めたが、今のところ後任は見つかっていない。しばらくは、研修医に加え、他の部の医師1人が応援に入る。

 秦院長はこの日、病院で記者会見。今月15日に新病院がオープンし、救急患者を短時間で運べるヘリポートの運用が18日に始まったばかりだが、「何とか重症者は引き受けたいが、人手が足りない場合は転院搬送する可能性もある」と話した。また、医師が乗り込んで車内でも医療行為をする救急車「ドクターカー」も「佐藤部長がいなくなると立ち行かなくなるかも」と述べた。

 秦院長は今後、救急部の負担を減らすため、休日・夜間に受診を希望する患者向けに休日診療所の開設などを医師会に要請する。(寺田航)

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笑いごとではないのですが・・・ヘリポートやドクターカーがあっても救急部の医師が1人で何ができるのかと思わず笑ってしまいました(苦笑いですが)

 

基本的には日本全国、特に人口当たり医師数が少ない埼玉県のような地域(首都圏)と単位面積当たりの医師数が少ない県(島根県や北海道、東北地方など)の両方をカバーするだけの医師が必要だということになります

人口当たり医師数が不足していることを一気に変えることができないので、運用方法を変えて一極集中+交通網整備という方法をとりたいわけですが(僕だったらとりたいというだけです)…(まぁ、医師の経験なども考えると…いろいろ考えはあるのですが)。

 

 

ちなみに47都道府県で人口当たり医師数も面積当たり医師数も十分にあるのは東京都、京都府、大阪府、福岡県くらいなものです。残りは何らかのひずみがある。

http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpax200701/b0047.htmlより)

 

もう一つこの後記事を書きますが、医学部新設議論は本当によく考えないといけないと思います。

 

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天野医師の自信:医師が患者さんに貢献できるという自信を失った時は引退するべき時なのでしょう

2012-06-28 19:45:30 | 医療

こんばんは

 

今日も結局いろいろ準備に時間をとられておりました。

それでも明日から出張と考えると仕方がないのですよね。本当は予定では今日からでしたしw

 

さて、本日は先日天皇陛下の手術を執刀された天野医師の話が載っていたので紹介します。

「神の手」と呼ばれて(上)心臓外科医・天野篤 自分ほど医師に向く者はいない

「神の手」「ゴッドハンド」と呼ばれるのは、医師冥利(みょうり)に尽きるだろう。しかし、学力や手先の器用さだけではこの域に達することはできない。自分自身を信じて患者のためには決して妥協しない不撓(ふとう)不屈の精神力が、大医や名医をつくる。(文・木村良一)

 ――狭心症の天皇陛下の冠状動脈バイパス手術、お疲れさまでした

 天野 はい。ただ(手術が成功し)ひとりの国民と天皇陛下という元の関係に戻りました。「天皇陛下の執刀医」という枕詞(まくらことば)は外す方向でいます。

 ――どうしてですか

 天野 天皇陛下の執刀医ということが独り歩きすると、僕や僕が関係する施設が利用することになる。それが良くないからです。

 ――それにしてもプレッシャーは大きかった?

 天野 診療面ではそんなに感じなかったけど、外科医として真の力量が問われるというプレッシャーはありました。

 ――なぜ医師になったのですか

 天野 父親のおじに当たる人が2人医者で、影響を受けた。高校2年のとき、父親が心臓弁膜症と診断されたことも大きかった。医学生の大学2年のとき、父親が三井記念病院(東京都)で手術を受けるのですが、それがどういう医者になるかを考えるきっかけになりました。心臓外科を志す前は僻地(へきち)医療に力を尽くしたいと思っていた

 《父親の甲子男(かしお)さんは心臓に人工弁を付けるなどの手術を3回行ったが、平成2年11月25日に術後心不全などで亡くなる。66歳だった。亀田総合病院で行った2回目の手術では自ら助手を務めた》

 ――3浪して日大医学部に入る

 天野 はい。どうしても医者になりたいという思いが強かった。自分ほど医者に向いている人間はいない。それなのになぜ、選ばれないのか。どうして学力だけで決めるんだ。気持ちの中でそう世の中の制度に文句をつけていた時期がありました

 ――なるほど

 天野 1浪、2浪の時点で複数の私立の新設医大の1次試験には合格していた。でも2次試験には受からない。合格するにはコネクションが必要だと分かり、門外漢は実力でしか門をくぐれないと腹をくくってもう1年いままで以上に勉強した。3浪の時点で、1浪、2浪のとき受験した国立1期校を捨て1期校と試験日が重なって合格しやすい日大医学部を選んだ。

 ――どんなところが医師に向いていますか

 天野 熱心で、ひとつのことを中途半端にしないところかな。だから手術は丁寧だし、患者さんとの関係も丁寧です。たとえば院内の薬局が薬の飲み方を誤って伝えてしまったときには、正しい飲み方を自分で直接電話して説明した。患者さんには「あなたのことは僕が一番よく知っている」というように接することが大事です。

 ――いまもそんなに親切なのですか

天野 若いころは未熟な部分を患者さんの信頼を得ることで補っていた。いまは手術の完成度が高いからある時点で医者と患者の関係を断ち切れる。それに他の病院で手術すると、アフターケアは他の医者に任せなければならない。患者さんとの関係が希薄になればなるほど手術の完成度を上げる必要が出てくる。それが患者さんへの誠意です。

 ――医学部の教授という地位はいかがですか

 天野 まさか教授になるとは思ってもいませんでした。僕が結婚した若いころ、父親のおじの息子が東大医学部の小児科の助教授で、その人が「3浪したから研究者として大学に残るのは難しい。臨床医として早く一人前になりなさい」と諭してくれた。民間病院で手術経験を積めたのはそのおかげです。

――「神の手(ゴッドハンド)を持つ医師」と呼ばれていますが

 天野 僕の場合、神の手というよりも「物差しの手」。手術は行き当たりばったりではなく、計った通りにやる。計算し尽くされた中で執刀している。

 ――それは手先の器用さにつながるのですか

 天野 つながります。少なくとも外科医の中で僕は器用だと思う

 ――以前、年配の高名な外科医から「器用さとはよく考えて物事を進めることだ」と教えられたことがあります

 天野 よく考える。それも器用さに入る。何かやっているときにそこだけを見るのではなく、裏側やその先を見る。目というのは目の前の物を見るだけではなく、いろいろな情報を取り入れられ、それを基にいろいろと考えられる。

 ――手術中も同じですか

 天野 執刀中こそ視力などの五感を最大限に生かします。五感から入った情報に対し、すぐに反応して自然に手が動く。だから通常の手術は疲れない。非常事態が起きたときは頭を使う。周囲がその事態に目がくぎ付けになっても、ひとつ頭を持ち上げて俯瞰(ふかん)し、もうひとりの緊急用の自分が、体に指令を出すようになっている。

――すごい

 天野 術中判断は経験と知識を総動員して3秒ぐらいで行う。患者さんのためには勇気を出して合併症と表裏の状況にも立ち向かわなければならない。妥協はしない。

 ――そこまでの域に達するには若いころから相当な体験をしているのでは

 天野 たとえば高校2年のとき、仲間と出かけた伊豆の大島で高波にさらわれたことがある。岩場で美術の宿題の絵を描いていました。そこに大きな波がザブンときて足をすくわれて海の中に落ちた。

 ――それで

 天野 落ちながら「波は必ず引く。引いたときに体を安全に支えられるものが見つかるはず」と考えた。ちょうど大きな岩があり、そこにしがみついて次の波がくるまでに呼吸を整えた。次に「大きな波は続かない。しがみついていれば、岩をよじ登れるチャンスがきっとあるはずだ」と考え、助かった。

 ――ピンチのときこそ、パニックにならずに落ち着いて考える

 天野 手術には三の矢はない。二の矢で仕留めなければならないからです

 ――二の矢で仕留める?

天野 1回目の手術が駄目なときは、2回目の手術で成功させなければならない。2回目の手術で救命できても、患者さんの予後(その先の人生)がつくれない場合がある。患者さんにどのくらい余力があるのか。助手や看護師の体力はどうか。道具立てに問題はないか。手術中もそれらを瞬時に把握し、より確実な次の治療計画を立てる。先の先を考えて手術していかなければならない

 ――たいへんです

 天野 すぐに再手術になるようでは、何のための手術か分からない。そこに対する責任感はどの外科医よりも強い。

 ――2ミリの血管を0・05ミリという細い糸で縫ったりするのでしょ。手術の練習はするのですか

 天野 しない。いままでやってきたことが「間違っている」とひらめき、それを確認するのに人工血管や布で試すことはある。(論説委員 木村良一)

 ――医師としての哲学は何でしょうか

 天野 与えられたものを最大限に生かすこと。それが患者さんのためになるし、仲間や自分自身のためにもなる

 ――上司に臆せずにものを言った結果、嫌われて病院を辞めざるを得なかったことがあると聞きましたが

 天野 14歳年上の部長の手術を「僕の方がうまくできる」と批判した。まだ30歳代で未熟で天狗(てんぐ)だった。ただそのとき初めて「自分には外科医に向いた器用さがある」と直感した。

 ――なるほど

 天野 その部長に「君と話すときは脳の10%を使えば十分」とまでいわれたけど、(負けずに実力をつけ)手術中に助言をしたらクビになった。尊敬していた人でしたが…。

 ――平成3年4月から新東京病院(千葉県松戸市)に勤務されていますが、これは後にバチスタ手術(心臓縮小手術)で一躍有名になる須磨久善先生に呼ばれるのですね

 天野 はい。当時、東京の三井記念病院のサテライト病院として新東京病院に心臓血管外科が開設され、須磨さんが僕より5歳年上で、初代部長でした。須磨さんはもう手術をしない。

 ――今後、何歳まで現役の心臓外科医として手術しますか

 天野 むかしは55歳が限界といわれましたが、医療器具が発達して外科医年齢が上がっている。これからはデジタル画像を手掛かりに手術するようになるかもしれないから限界も上がるでしょう。

 ――今後の目標は

 天野 いまやっている手術のレベルを高めたい。たとえば(人工心肺装置を使わず心臓を拍動させたまま行う)オフポンプ手術。日本が世界一で、冠状動脈手術の6割がこのオフポンプだけど、これをもっと高めたい。それと脇目も振らずに外科医になろうとする医者を育てたい。

 ――ライバルは

 天野 うーん。難しい。

 ――ブラックジャック?

 天野 違う。(漫画『メスよ輝け!!』の主人公の)当麻鉄彦。『孤高のメス』という小説や映画にもなったけど、当麻鉄彦が僕の新東京病院時代とかなりダブる。患者サイドに立って手術で患者とその家族を幸せにしようとするところがいい。ライバルというよりも外科医の理想像かな。(原作者で医師の)大鐘稔彦(おおがね・としひこ)先生にはお会いしたり、手紙を頂いたりしています。(

 

 ■あまの・あつし 今年2月18日に天皇陛下の心臓手術を執刀した。順天堂大医学部心臓血管外科教授。昭和30年10月18日生まれ。56歳。埼玉県立浦和高を卒業後、日大医学部に進む。亀田総合病院(千葉県)や新東京病院(同)などの民間病院で腕を磨き、年間平均400件もの心臓手術をこなす。

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すごく面白いと思ったので、全文引用してしまいました。産経新聞さん、すいません。

 

さて、僕が気にしたのは2つ

 

1つめは「医師としての自信」「患者さんのためになることができる」という絶対的な自信。これは多かれ少なかれ医師の誰もが持っていることだと思います。逆に全く「医師としての自信」も「患者さんのために力になれる」という強い思いもなかったらいやじゃないですか?

それが医師には必要であるということ。

 

2つ目にそれが無くなってくるころ・・・今までは55歳が限界だったとしても、今後は様々な技術でもっと年齢は高くなるのかもしれません。しかし、それでも限界はあると思います。

本来、上記2つがなくなったころには医師は引退するべきなのでしょう

 

それが何歳まで維持できるだろうか…ということです。

 

知識・経験を持ってアドバイザーになるならともかく、ある一定以上の年齢では自ら患者さんの診療をするのは難しいのではないかと思います。

そういう目でもう一度、医師の実数を考えてみたらどうだろうかと思ったりします。

 

恐らく現場の医師としての数はかなり減ってくるのではないかと思っています。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/06/kekka1-2-2.html

日本の医師のうち70歳以上は10%を占めます(10%って3万人近くですよね)。もちろん年齢が高いというのは、それだけで現場に出ることはできないとは言えないと思います。

ただ、実際に患者さんの診療をするという意味で「もっと若ければ・・・」と思うことがあるならば、最前線にはいられないだろうと思います

 

医学が日進月歩で進んでいく中で、過去の知識と経験で対応できるのであればともかく…新たな知識に対応しなくてはいけない状況で高齢者は不利です。

診療所の医師の20%以上が70歳以上というDataも上の厚労省のサイトに書かれていますが、70歳以上で病院勤務医として働くのは病院長などを除いては難しいのではないかと思っています

(病院長も難しいですがw)

そんなことを思いました。

いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

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