「御器屋町 その1」の続きです。
↓ ピンクの線の部分の道路がなくなってしまっている。
↓かろうじて残った現在の御器屋町通り(地図の赤線の部分)
駿府城下の96カ町の町名は原則として通り沿いに町名が付けられており
この御器屋町もその例外ではありませんでした。
現在、区画整理で御器屋町通りの半分はなくなってしまっていて
御器屋町がどのあたりだったかが分りづらくなってしまっています。
駿府96カ町のうち、町名を失い
なおかつその通りまで失ってしまったのは、ほかには例がないかもしれません。
(新谷町(しんがいちょう)も道路が付け代えられてはいますが)
御器屋町の名称がなくなってしまった理由は、以下の理由が考えられます。
1 通り沿いに付けられていた町名であるため
町界は、当然道路ではなく背割式(家の裏側が町界)であったため
住居表示が実施される際、障害になったこと。
(住居表示制度では、町界を道路等の恒久的施設であることが求められている。)
2 駿府96カ町の町のほとんどが
1町が道路沿いの1丁程度の大きさであったが
御器屋町もその例外でなく
行政側が管理しやすいと考える町の大きさからすると小さすぎること。
(住居表示制度の実施基準では、当初、一つの町の面積や世帯数まで
例示されていたため、全国的に小さな町がなくなってしまった。
東京23区では住居表示が全域完了している区も多く
江戸期からの多くの町名が失われてしまったのですが、
新宿区の牛込地区では、いまだに昔ながらの町名が残されているのは
都区内では希有な地域でしょう)
3 地元で強力に反対する声があれば避けられたかもしれないが
たとえ反対する人がいても、小さな町であったがゆえに
大きな声に集約することが困難だったことが考えられる。
それはともかく
本通から安西通りにかけては
いまも小さな町が現存するのですが
ぜひとも御器屋町のような例にならないように願いたいものです。
↓ 御器屋町を名乗り、意地をみせる店
↓ ピンクの線の部分の道路がなくなってしまっている。
↓かろうじて残った現在の御器屋町通り(地図の赤線の部分)
駿府城下の96カ町の町名は原則として通り沿いに町名が付けられており
この御器屋町もその例外ではありませんでした。
現在、区画整理で御器屋町通りの半分はなくなってしまっていて
御器屋町がどのあたりだったかが分りづらくなってしまっています。
駿府96カ町のうち、町名を失い
なおかつその通りまで失ってしまったのは、ほかには例がないかもしれません。
(新谷町(しんがいちょう)も道路が付け代えられてはいますが)
御器屋町の名称がなくなってしまった理由は、以下の理由が考えられます。
1 通り沿いに付けられていた町名であるため
町界は、当然道路ではなく背割式(家の裏側が町界)であったため
住居表示が実施される際、障害になったこと。
(住居表示制度では、町界を道路等の恒久的施設であることが求められている。)
2 駿府96カ町の町のほとんどが
1町が道路沿いの1丁程度の大きさであったが
御器屋町もその例外でなく
行政側が管理しやすいと考える町の大きさからすると小さすぎること。
(住居表示制度の実施基準では、当初、一つの町の面積や世帯数まで
例示されていたため、全国的に小さな町がなくなってしまった。
東京23区では住居表示が全域完了している区も多く
江戸期からの多くの町名が失われてしまったのですが、
新宿区の牛込地区では、いまだに昔ながらの町名が残されているのは
都区内では希有な地域でしょう)
3 地元で強力に反対する声があれば避けられたかもしれないが
たとえ反対する人がいても、小さな町であったがゆえに
大きな声に集約することが困難だったことが考えられる。
それはともかく
本通から安西通りにかけては
いまも小さな町が現存するのですが
ぜひとも御器屋町のような例にならないように願いたいものです。
↓ 御器屋町を名乗り、意地をみせる店