▽ 静活文化会館屋上にある「小劇場」
▽ 閉館にあたり1976年のポスターが掲示されていました。
ピカデリー1、ピカデリー2が入っている
静活文化会館のビルができたのは1957年12月だということです。
そのビルの屋上にある小劇場と
東映が撤退した跡にあるピカデリーゼロは
一足早く25日に閉館しました。
この小劇場、当初はニュース喫茶といって
ニュース映画を専門に上映し
喫茶も提供する形式をとっていたようです。
当時はTVが普及する以前のことですから
映像でニュースを見るには
映画館で見るしかなかったので
かなり需要があったのでしょう。
(1970年ごろまで
どこの映画館でも週刊ニュースが上映されていた。)
▽ プラネタリウム跡
ピカデリー1、ピカデリー2が入っている
静活文化会館のビルができたのは1957年12月だということです。
そのビルの屋上にある小劇場と
東映が撤退した跡にあるピカデリーゼロは
一足早く25日に閉館しました。
この小劇場、当初はニュース喫茶といって
ニュース映画を専門に上映し
喫茶も提供する形式をとっていたようです。
当時はTVが普及する以前のことですから
映像でニュースを見るには
映画館で見るしかなかったので
かなり需要があったのでしょう。
(1970年ごろまで
どこの映画館でも週刊ニュースが上映されていた。)
▽ プラネタリウム跡
▽ 隣のミラノ座の屋上との通路
このビルに文化会館という名称が付けられたのは
映画以外にレジャーの複合ビルにしようという思いが
あったのだと思われます。
かつては1階にアイスケケート場
屋上にはプラネタリウムがありました。
渋谷にあった東急文化会館のプラネタリウムができたのが
1957年4月ということですが
当時、プラネタリウムに対する羨望が
静岡のような地方都市にもあったのでしょう。
このプラネタリウムは
1960年ごろに2年ほど営業されただけで
短命に終わってしまったようです。
規模が小さかたことと当時の静岡市の人口規模などから
民営でプラネタリウムを採算ベースに
載せるのは困難だったのかも知れません。
このプラネタリウムのドームは使命を終えてからも
撤去されることもなく
半世紀もその姿をとどめていました。
また、この屋上には隣のミラノ座のビルとの
間に渡り廊下が設置されています。
火災時等の入場者の避難用に設けられたと思われるかもしれませんが
なんと、これはミラノ座のビル屋上に
かつてはバッティングセンターがあって
その通路に使われたのだということです。
この屋上の風景を見るだけで
半世紀の歴史の重みが伝わってきます。
▽ プラネタリウム跡見学者に配られた昔の優待券
夏休み毎日天文教室の右側には
「トキ 7月20日-8月31日」
「トコロ 静岡プラネタリウム 静岡大映屋上」と書かれている。
<参考>静活株式会社HP