▽ 台風一過、街路樹の枝が散乱する七間町(旧札之辻町)
▽ 空襲に耐えぬいた静岡赤十字病院前(追手町)のクスノキ、今回の台風にも耐え
▽ 空襲に耐えぬいた静岡赤十字病院前(追手町)のクスノキ、今回の台風にも耐え
被害がなかったようだ。
67年前の1945年6月19の夜(記録では20日午前0時過ぎとされる)
静岡市は、後に「静岡大空襲」のよばれる米軍の無差別爆撃を受け
当時の市街地のほぼ全域が焼き尽くされました。
その前年末から市内の軍需工場を中心に散発的な空襲を受けていたものの
これほど大規模なものではありませんでした。
結果、2000人の生命が一夜にして奪われました。
空襲から67年後の6月19日
6月にしては珍しい台風が上陸し
一夜明けた20日の朝、歩道上には街路樹の枝が
あちこちに散乱していました。
幸い市内では台風による甚大な被害はなかったようです。
それにしても
67年前にも台風が来ていて大雨が降っていたなら
もう少し犠牲者が少なかったかもしれないのに・・・
などとせんなきことを考えたりしてしまいます。
(もちろん、台風が来ることが分かっていて空襲は行わないでしょうが・・・)
67年前の1945年6月19の夜(記録では20日午前0時過ぎとされる)
静岡市は、後に「静岡大空襲」のよばれる米軍の無差別爆撃を受け
当時の市街地のほぼ全域が焼き尽くされました。
その前年末から市内の軍需工場を中心に散発的な空襲を受けていたものの
これほど大規模なものではありませんでした。
結果、2000人の生命が一夜にして奪われました。
空襲から67年後の6月19日
6月にしては珍しい台風が上陸し
一夜明けた20日の朝、歩道上には街路樹の枝が
あちこちに散乱していました。
幸い市内では台風による甚大な被害はなかったようです。
それにしても
67年前にも台風が来ていて大雨が降っていたなら
もう少し犠牲者が少なかったかもしれないのに・・・
などとせんなきことを考えたりしてしまいます。
(もちろん、台風が来ることが分かっていて空襲は行わないでしょうが・・・)