駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

半世紀ぶりに横断歩道が設置された江川町交差点

2012年11月17日 12時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ 歩車分離式の表示


 ▽ ペガサート前から電電ビル前まで横断歩道で渡れるようになった。
   
(警察官の数が多くややものものしい雰囲気)



 江川町交差点は一部を除き横断地下道を利用しないと横断できません。

1960年代、車両の急激な増加に伴い歩行者が被害者となる事故が激増し
 その対策として横断歩道橋が全国的に設置され
(「交通戦争」という言葉が生まれ、東京には「みどりのおばさん」が登場したのも60年代)
この江川町交差点も設置候補地となっていたようです。

当時、この江川町交差点では
 たまたま電電ビルの建設が進み旧電話局
(追手町5番4号)
同ビルを結ぶケーブルの敷設のための工事が行われることになりました。

そのため、どうせ地下を掘る工事が行われるなら
歩道橋でなく地下道を同時に建設をということになり
地元も歩道橋を歓迎しなかったため横断地下道が設置されることとなり
 1966年
(S41)11月に完成しました。

 そのため、ケーブルの敷設工事のルートにほぼ沿った十字型
(下図の赤色の線)
横断地下道となりました。

 2年後の1968年
(S43)には
 電電ビルと日本生命ビルとの間
(下図の橙色の線)にも
県が地下道を増設し現在に至っています。

当時は歩行者にやさしい交通政策よりも
事故を減らすことの方が強調されがちでしたが
時代は変わり、今や弱者にやさしい施策が求められる時代となりました。

また、この横断地下道の存在が
買い物客等の回遊性を妨げているということが
以前から指摘されていました。

 そのため、約半世紀
(正確には46年)ぶりに横断歩道を設置し
その影響を調べるという社会実験が
 きょう
(11月17日)から25日まで行われることになりました。

事前の一部のテレビ局等の報道では
横断歩道の設置により交通渋滞の増加を懸念するものがありましたが
横断地下道の設置の所期の目的が歩行者の安全確保であって
けっして車両のスムーズな走行になかったことを
認識すべきだと思われます。


初日の今朝は土曜日とあって
 通勤通学の歩行者も車両も少なく混乱はなかったようです。
(かなりの歩行者が今までの習慣からか地下道を通っていました。)

なお、市の広報紙では
 「安全確保のため
(歩行者を指すのか車両を指すのかは不明)
スクランブル方式は採用しない」と
ありましたので普通の信号システムになると思っていましたが「歩車分離式」となっていました。
これは、歩車分離により左折の車両のスムーズ化と
斜め横断をしないことによる歩行者用信号の青信号の時間短縮を図ったものなのでしょう。

社会実験の結論がどうなるのか分かりませんが
ぜひ横断歩道を設置してもらいたいものです。


▽ 赤色・橙色=地下道, 緑色=今回設置された横断歩道, 水色=既設の横断歩道、






※ 追 記
平日昼間の江川町交差点のようすです。
点字ブロックが仮設され、歩行者の横断時間を短縮するためか
ペガサート前の歩道が車道側に伸ばされているのが確認できます。