▽ 緑の線が東海道、城下を何度も直角に曲がって通り抜けている。
駿府城下を抜ける東海道は一本道ではなく
碁盤の目状の城下を何度も直角に曲がって通り抜けています。
そのため非常に分かりづらいうえ
城下地区に案内表示なども一切ないため
最近、静かなブームである旧東海道歩きの人たちが
間違って通り抜けてしまうことも少なくないようです。
ここは、地図の右上にある伝馬町通り(てんまちょうどおり)です。
▽ 伝馬町附近
(東海道は江川町通りと直角に交わっていたが、昭和の初めに御幸通りが建設された際
江川町交差点と交わるようにやや斜めにつけかえられた。)
この伝馬町に
「ここは東海道 府中宿」という標識が最近付けられました。
もっとも、この標識は東海道であることよりも
むしろ「※府中宿」であることを主張しているのかもしれません。
それでも、東海道であることが明確に分かります。
このような標識が
呉服町通りや七間町通りにも
ぜひほしいものです。
また、直角に曲がる角にはぜひとも
案内標識を設けてもらいたいものです。
▽ 七間町から人宿町商店街通りへ曲がる角は非常に分かりにくい。
善意の私設の手書きのこの標識もこの商店が廃業してしまってツタで覆われてしまった。
※府 中
もちろん「府中」とは「駿河府中」、すなわち駿府のことです。
現在は都下や広島県の府中を思い浮かべる人が多いかもしれませんが
江戸期では、単に府中といったら当然に「駿府」のことでした。
駿府城下を抜ける東海道は一本道ではなく
碁盤の目状の城下を何度も直角に曲がって通り抜けています。
そのため非常に分かりづらいうえ
城下地区に案内表示なども一切ないため
最近、静かなブームである旧東海道歩きの人たちが
間違って通り抜けてしまうことも少なくないようです。
ここは、地図の右上にある伝馬町通り(てんまちょうどおり)です。
▽ 伝馬町附近
(東海道は江川町通りと直角に交わっていたが、昭和の初めに御幸通りが建設された際
江川町交差点と交わるようにやや斜めにつけかえられた。)
この伝馬町に
「ここは東海道 府中宿」という標識が最近付けられました。
もっとも、この標識は東海道であることよりも
むしろ「※府中宿」であることを主張しているのかもしれません。
それでも、東海道であることが明確に分かります。
このような標識が
呉服町通りや七間町通りにも
ぜひほしいものです。
また、直角に曲がる角にはぜひとも
案内標識を設けてもらいたいものです。
▽ 七間町から人宿町商店街通りへ曲がる角は非常に分かりにくい。
善意の私設の手書きのこの標識もこの商店が廃業してしまってツタで覆われてしまった。
※府 中
もちろん「府中」とは「駿河府中」、すなわち駿府のことです。
現在は都下や広島県の府中を思い浮かべる人が多いかもしれませんが
江戸期では、単に府中といったら当然に「駿府」のことでした。
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ブログ村から来ました。
一昨年~昨年、静岡県内の旧東海道を歩きました。
府中の旧東海道は解りにくいですね。
宿場町は、敵の侵入を防ぐため、わざわざ道を曲げて造られているのだそうですね。
沼津、清水もそうですが、案内板が少なくて、迷子になりそうでした。
旧東海道の地図がなくても歩けるように整備してほしいですよね。
それを家康が本通から新通へ付け替えたということです。
新通からですと富士山を背景にした駿府城天守閣が真正面によく見えたからではないかと言われています。(外堀に対して中堀、内堀(現存せず)の矩形がわざわざ角度を曲げられている)
それと駿府城下は、家康により一丁四方の碁盤の目状の町割りがされたので必然的に直角に曲がる角が増えてしまったのでしょう。
東海道の表示についてはおっしゃるとおりです。
どうも静岡市民は東海道について興味がないようです。
駅前を通る国道一号が昔から東海道だと思っている人がいるくらいですから(笑)