北安東村の瓦場屋敷についてこちらに書きましたが、
気の向いたところで南安東村瓦場(現:葵区瓦場町)附近を歩いてみたいと思います。
まず、出発地のきよみず公園内(音羽町)にあるJOPKの放送塔です。
JOPKとはNHK静岡のコールサイン(呼出符号)です。
(JOPKはともかく、JOAK〔東京〕・JOBK〔大阪〕は比較的知られているでしょう。)
放送塔は、ラジオの普及を目的に全国に設置されたもののひとつで
静岡ではこのきよみず公園に1933年設置されました。
かつては谷津山に送信所があり局舎も柚木にあったため、
この地に設置されたのでしょう。
谷津山の裾づたいに瓦場町方面へ向かいます。
このあたりは、瓦場町と春日町(静鉄の春日町駅附近の春日町とは別の春日町です。)の
町界が複雑に入り組んでいます。
現地でかつてのよすがを求めるといっても当方の知識のなさもあって
なかなかむずかしいようです。
そんななかで見つけたこの庚申塚にはちょいと見づらいですが
右側に南安東瓦場と刻まれています。
静岡県内に多い曹洞宗(そうとうしゅう)の元長寺です。
寺の前がかなり広くあいています。(この右手では、新規の墓の分譲が進められています。)
1916年、鷹匠町三丁目(現:鷹匠三丁目)に設立された
静岡女子薬学校(現在の静岡県立大学薬学部)が
1924年にここに移ってきたようです。(1950年小鹿二丁目へ移転)
その後、1955年には静岡学園の大学予備校が薬学校跡に移転してきたということです。
土地は、もともとこのお寺の境内地だったのかもしれません。(未確認)
左手の建物は地域の集会所を兼ねた白山神社です。
こちらの「瓦場屋敷」についての記事にも書きましたが
瓦場町には渥美さんがとても多いのです。
こんな風に住所の表記を一般的な「静岡市葵区○○町××」などとせず
単に「瓦場町××」というのは、ちょいと小粋で好もしい感じがします。
無意識なのかもしれませんが
きっと静岡市である前に瓦場町であるというこの町名に
誇りを持っているからこそなのでしょう。
敷地が瓦場町、太田町、東鷹匠町にまたがる広大な(?)静岡工業高等学校の跡地です。
ここに静岡学園が移転するとは聞いていましたが進展具合は知りませんでした。
この看板によると2011年4月にはここに移転するようです。
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それと、「瓦場町 渥美」という表札は確かにかっこいいですね。それにしても本当に渥美さんが多いんですねえ・・・
静岡工業高校跡地の土壌がどうのこうのと一時期騒がれていましたが、それは解決したのでしょうか?2011年に移転とのことですが、なんか移動がものすごいことになりそうですね。
もっとも、長沼の科学技術高校の引っ越しはいつの間にか終わっていたような気もしますので、そんなに大ごとでもなくつつがなく終わるのかもしれませんが。
静岡工業の跡地の土壌汚染は解決したのかもしれませんが、あまり報道がないような・・・
やはり気になりますね。
秋田局はUKなのですが、今や基幹というよりも単に開局が早かった(東北では仙台の次)だけの感もしますが、ラジオ第二放送は強力な出力を誇っています。
町名に誇りといえば、数年前、静岡市清水区で「NHKのど自慢」があった時、合格者のほとんどが、本来市町村名まででいいのに「静岡市清水の」と清水っ子であることをアピールしていて、ほほえましく思ったものです。
以前、どっかの放送局でとりあげてた太田町商店街の
都市計画はどうなったのかなー?
それはともかく、NHK第二放送は、全国同一番組となってから札幌、秋田、東京、大阪、熊本局を大出力にして中継局の省略化を図っているようですね。
中継局ばかりでなく徳島や京都の第2放送は大阪局で十分カバーできると廃局になったようです。
東北地方で仙台局ではなく秋田局が選ばれたのは、地形的にその方が有効なためなのでしょうね。(現地の地理に詳しくないので、断定はできませんが)
▽福岡市の博多のように、清水の名前が残るのはそれはそれでいいのではと思っています。
名称が静岡市となってしまった経緯には、なかなか生々しい話もあるので、あまり言及できませんが(笑)
拡幅の計画は60年も前に決められたもので、戦前の都市計画にも決められていたようですから、それから数えると80年も昔からの計画ということになります。
一番最初に計画も策定に関わった人などほとんど存命していないでしょう。
そんな計画をなんの見直しもせず、また地元に対して何のフォローもしないできたのは役所の怠慢のような気がします。
地元民から不平がでるのは当然でしょうが、役所の論理は常に決められたものを決められたとおりにやっているだけだということでしょうから、なかなか撤回や修正をさせるのはやっかいでしょうね。