玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*台湾(二)

2015年04月13日 | 台湾のこと

 台湾の中国語の名称は中華民國である。国連では リパブリク・オブ・チャイナ(略称R.O.C )と称するケースがなくなり、スポーツ大会ではチャイニーズタイペイという名称が使用されている。世界貿易機関(WTO)に関しては 台湾・ 澎湖・ 金門・馬祖 個別関税領域(略称TPKM)という名称で加盟している。APECでは「中華台北」を使っている。中華民國という国号を「台灣」という名称に変更しようという運動がある。政府は旅券に中華民國の正式名称と共にTAIWANを付記して発行するようになった。

 台湾は複合民族国家である。圧倒的多数を占める漢人系は台湾土着の本省人と、戦後になって中国大陸から渡ってきた外省人に二分される。 戦後蒋介石の国民党が逃げのびて台湾に中華民国が居座ることになる。こうした中、政治や経済、教育界などは外省人が実権を握る。台湾はあくまでも中華民国の一省であり反攻大陸の拠点という見解だった。そのため多数派である台湾人(本省人)が独立志向を抱くのは政府にとって都合が悪かった。蒋介石・蒋経国親子時代の白色テロが猛威をふるい、戒厳令が解除されたのは1987年のことである。台湾の人々が自らの意志で政権を選んだのはごく最近の1996年総統直接選挙からである。(写真は3月30日・国立駅あたり)

  

 本省人は福建地方からの移民の子孫であるホーロー人(台湾人)と客家(はっか)人に分れる。客家人は台湾の総人口の2割程度を占めるという調査結果がある。客家人として孫文、小平、シンガポールの李光耀(リクワンユー)などが知られている。台湾原住民は政府が認定しているだけで14の部族があり、これらがすべて独自の言語文化を持っている。昭和時代には原住民を総称して「高砂族」と呼んでいた。台湾の人々はそれぞれ固有の母語を堅持しながらもコミュニケーション言語として戦前は日本語、戦後は北京語を使用してきた。現在政府が公用語とするのは北京語である。

 歴史的に日本と接点を持たなかった外省人は別として、ホーロー人と客家人については生活言語の中に単語レベルの日本語が定着していることが多い。例えば、イチバン(一番)、センパイ(先輩。コウハイは少ない)、テンプラ(さつま揚げ)、プロペラ(ぺらぺら。彼は北京語がプロペラだ)、モッタイナイ(もったいない)、ワルイ(悪い。ヨイは少ない)などがある。日本語世代と呼ばれる戦前生まれの老人がよく口にするジョークがあるという。「アメリカは日本に原爆を二つ落とした。でもそれだけだった。台湾には蒋介石を一つ落とした。その後半世紀にわたって台湾人は苦しめられてきた」 現在中華民国を国家承認している国はパラオ、バチカン市国、パナマなど22カ国ある。

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