母は1924年(大正13)生まれで、この1月31日で99歳になった。長男である私を含めて男2人女2人の4人の子を産み育てた。長女が介護のため単身千葉から鹿児島に出向いて、現在母娘の二人で暮らしている。母は一時期施設に入ったこともあったが、自宅での生活を望み、長女の献身がそれを可能にした。
父は1917年(大正6)生まれで私が完全退職した年の2010年に93歳でこの世を去った。亡くなる歳の8月に、アメリカに住む父の二人の曾孫とその母親、そして私の4人は鹿児島を訪問し、楽しく歓談した。ところが私たちが帰ったその翌日に父が倒れたという知らせが東京に届いた。予想できない突然の死だった。
私がここ2年以上も鹿児島に帰らずにいる間に、母は白寿の祝いを迎えた。鹿児島では弟と二人の妹、あと近しい人たち総勢9人が集まり母の白寿の祝いを城山ホテルでひらいたという。妹から「百寿のときは盛大にやりましょう」と私へのいたわりの言葉と同時に白い帽子の母を囲んだ記念写真が届いた。
昔から「親より先に死ぬことは親不孝」と言い伝えられてきた。人の寿命など分からないのだから、これは若者に対する自死の戒めなのだろう。親子の縁で生死の順番が逆になることを「逆縁」という。私たち子供の間では最近「親より先に逝かないように心がけよう」というのがとりあえずの合言葉になっている。