忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

人生の師

2010-04-02 | 生き方を学ぶ

瀬田川沿いの桜も、いよいよ咲き出しました。淡いピンク色があちこちに染まって見え始めると、妙に気分が霞がかかったような状態に陥るのはどうしてでしょうね。昔からなんです

若い頃勤めていた保育園では入園式が済むと新入園児が、あちらでもこちらでもワーワー泣いて保母さんは大変でした。初めて家庭から出て集団の中へ入った子供たちはそれは不安だったと思います。(もう数年も前から新入園児で泣く子供が殆どいなくなったと聞いていますが

そんな時、家恋しさに保母の目をかいくぐって泣きながら家に帰ってしまう子供がいました。保母達はもう、真っ青になってそれは生きた心地ではありません。「あなた達いったい何をしていたの!事故にでもあったらどうするの」と園長からのお叱りの中、園の外へ探しに飛び出したことがありました。やっと家に帰っている園児を見て安堵感と同時に責任の重さを痛感したことでした。

又、職場が変わって、違う保育園での4月 同じ体験をしました。ちゃんと門に鍵をかけていても、どうすりぬけたのか新入園児がいません。その時も保母たちは必死で探しに出ました。やっと見つかって園に戻った時、園長が手ずからのコーヒーを出して皆に「ご苦労さん、まあ見つかって事故にもならずよかったね」と保母達をねぎらってくださった。

私はこの時、同じ体験をしたのだが、責任を追及されて叱られるものと思っていたのに、後の園の園長の対応が余りにも違っていたのでびっくりした。

何故なんだろう?・・・・と長い間考えていた。園長はお寺の住職でもあったことがやはりその人となりとして現れたということがわかった。その後私はその園長を通じていろいろ仏教の話を聞かせてもらい、ずっと私の人生の師として出会わせてもらう、縁に恵まれた。

しかし、初めの園の園長にしても私にとってみれば人生のよき師であったと思うようになった。