忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

びわ湖花火大会へ

2011-08-09 | 日々の業

昨夜 久しぶりに大津びわ湖の花火を見に行った。といってもびわ湖畔はすごい人出で、車も大渋滞なので、始まった頃を見計らって車で行くと車の中から充分見られるということで連れて行ってもらった。

滋賀県に来て初めてこの大花火を見たときは本当にびっくりした。目の前で上がる花火にのみ込まれるようでその音と美の迫力に圧倒された。京都ではこれだけの花火は見たこともなかった。さすがにびわ湖の傍ならではと思った。

車上からでなかなかうまいタイミングで撮れなかったし、おまけに最後のクライマックスの大迫力パノラマの花火がカメラの充電切れとなり写せなかったのが悔やまれる。しかし目の前で見られたあの大花火は思わず手を叩きたくなるくらいの美しさと迫力だった。

 

(今朝の新聞からの写真、。来年はきっと自分のカメラで・・・)

復興への願いを込めて一万発の花火が打ち上げられ、被災者の方たちを

招待し約35万人の観客が夏の夜の湖上に咲く美しい花火を歓声とともに見入っていた。

28回目となるこの花火を父と一緒に初めて見た時の感動は忘れられないものとなっている。帰りの電車が満員で父は電車の中で財布を失くしたことも思い出した。又、ある年は父が入院している市民病院の屋上から見たこともあったし、京阪電車の中から勤務帰りに見たこと、JRに乗っているときにみたこと、図書館の辺の丘で遠くに見たこと、粟津のホームから見たことなど次々に思い出していた。

人の多い所へ行くのが苦手な私だが、この花火だけは来年も見に来ようと思った。(病気が治って元気になっていますように) 花火には派手な美しさというより、何かしら侘しいものを感じる。勢いよく上がった後の流れるような消え方や威勢よく消えていく様はまるで人間の生きざまの一つのようだ。

家庭でやる線香花火はいつまでもずーっとくっついてパチパチと光を放つ。そんなことを考えると花火も面白い。