忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

五山送り火

2011-08-16 | 日々の業

京都の伝統行事五山送り火を今夜はテレビでみた。大震災で亡くなられた大勢の方たちのことを想い心の中で祈った。

(今回 震災で亡くなられて方たちの鎮魂に護摩木を燃やすことで二転三転し、中止をしたことで東北の人達に大きな悲しみを二重に与えたことがとても残念に思えた。こういう時にこそ行政の指導力が発揮されなければならないのにと)

45年ほど前には京都の中立売通りから大文字をコップの水に写してその水を飲むとよいと言われてやったことがあったが・・・。コップを通してみた大文字  なつかしいが今は通りに大きな建物が立ち並び見るのも難しいようだ。

大文字の上に赤い月がでたのも珍しいことだ。

 

上賀茂に住んでいた時は家の近くから妙・法もよく見えたものだ。

 

右大文字や左大文字には登ったこともある。特に右大文字は勤めていたころ子供たちを連れて毎年登った。

京都市内が眼下に見えてとても好きだった場所で、秋には火床近くに陣取ってお弁当を食べた。山は大勢の人達で賑わっていた。

 

 

 


戦争の記憶

2011-08-16 | 昔語り

昨日は終戦記念日 戦争がこの国であったという記憶も人々の中から消えていくのではないかという、不安があります。戦争で多くの命が奪われたことをそしてその人たちの事を忘れないことが自分たちの生きる一番の意味に繋がっていくように思うのです。

結婚して数カ月で夫を戦地に送り、亡くされた沢山の婦人たち(今 テレビでもやっているそうですが)知り合いの88歳のご婦人も結婚してすぐに夫を戦地に見送られ、駅のホームで別れたのが最後だった。その時お腹の中に赤ちゃんが宿っていることもお互いに知らず、結局夫は子どもの存在すら知らないまま帰らぬ人になってしまわれたと話された。

「まるでドラマのようだね」と皆に言われるそうだけれど、戦争によってこうした悲しみのドラマが世界中に綴られたのだと思う。

婦人は「テレビでやっているとおりやけど、でも、あんなもんどころやなかったよ」と言われる。

私が小学生だった頃、近くに住む伯母さんが私を見るとよく言っておられたことを思い出した。

「あなたを見るとね、満州から引き揚げてくるとき、満州の地においてきた赤ん坊のことを思い出すんよ。生きていれば貴女と同じ年だから。」

 命からがらで逃げてくる途中で赤ん坊が亡くなりその地に埋めてきたと話されていた。