1ヶ月家をあけている間に梅の花が咲き、水仙も咲き出し、沈丁花もと花たちが春を告げていてくれた。
病院の部屋の前に掲げられた自分の名前をみてなんだか不思議な気分になった。これまでは他の人の名前を探して何回も病院を訪れたが・・・。自分がこの病室の主になるとは予想だにしなかった。いつかは老いて病になるということを自分の身におくことが頭の中ではわかっていても実感とならなかったのだろう。
手術の時は麻酔がかかり何にも判らないが、その後の苦しさはやはり実際に体験したものにしか分からないかもしれない。いや私が特別なのか、個人差はあるだろうが。
両手は血圧計、心電図、両足は血栓を防ぐ為の空気を送り、鼻、口には管とマスクがかかり、背中にも痛み止め麻酔の硬膜外の管、尿管、点滴の管、心電図の線などなどすごい数の管につながれていた。喉が異常に渇き、痰が5分おき位にでてくる。これとの闘いでもうすっかりまいってしまった。娘がずっとつきっきりで痰の始末や水を含ませて出さしてくれたりしたのが唯一の救いだった。
もうれつに襲ってくる不安を「治る、治る」と言い聞かせつつある時は念仏をあるときは感謝の言葉に置き換え何度となく祈った。
父や母、義父、そして義姉たちも同じようにこんなしんどい目を乗り越えたのだろうかと思うと、何としても耐えねばと思った。
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