・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

新年は15年先の15年前

2014年01月01日 | つぶやきの壺焼

みなさん あけましておめでとうございます

散歩の途中で考えておいた、初日の出を風変わりな背景で拝む場所があり、そこに行ってきました。
二つの大きなマンションのある丘が近くにあります。その建物と建物の間の狭い谷間に昇ってくる初日の出が見られたらよいなと考えていたのです。
谷間の風景はそのときどう変わるだろうか、両側の壁面は輝いて見えるだろうか、黒い四角な大きな塊の間に、濃橙色の光の帯が縦長にできて、その間にまん丸の赤い球が見える、球の上空にはポカポカと、壁面と同じ色に縁取りされた雲が見えてくれればなおよい、などと気ままな想像をめぐらせていました。

マンションの裏山はキャベツ畑、いちばん高いところを狙って、歩いて入れるところまで行き、畑道の終点で日の出を待ちます。
風のごく弱いのが幸いですが、じっと立っていると、毛糸ものを着込んできた体にも、じわじわと寒気がしみてきます。
足踏み、駆け足足踏み、また足踏み、駆け足足踏みと交互に繰り返し、時間を間違えているはずはない、今年は日の出が遅いのか、などと過ごすうちに、高い千切れ雲の一つが赤く染まりました。

日が昇って来そうな方角は、マンションの谷間の方向とは60度ぐらいの開きがありました。
見事な方向音痴、これは主要道路が曲がりくねっていても傾いていても、南北か東西かを向いているものと、どこかで思い込んでるところに原因がありそうです。
方向音痴は、南北と東西の区別もつかない、もっと重症になると、全く逆の方向が自分の意図する方向だと思ってしまう人のことですが、60度ぐらいなら、方向錯覚ぐらいのところでしょうか。
初日は思っても見なかった方角に顕れました。

房総の山の端から昇る、雲に邪魔されない初日を見たのは初めてです。
2014年、今年は、危ないおかしいと言って歩く心配商の人がいても、何も考えずに右往左往する人々にとっては、はっきりした方向が示される、多少スカッとした年になりそうです。

日本の大きな意識変化は、およそ15年ごとに起きてきたと言う人がいました。
昭和5~6年、昭和20~21年、昭和35~36年、昭和55~56年、そのあとのずるずる状態が、いま変わろうとしています。
時代には必ず終わりがある。これは名言です。
15年先の15年前である今年は、歴史認識などと、耳障りのよいことがもてはやされるだけでなく、あるいは歴史を他国への言いがかりの材料にし続けるのでなく、時代の終わりの、後の時代のあり方に目を見開かなければなりません。
そのときには、錯覚のない方向の見定めが必要です。
方向音痴症に罹っている論外漢は、空を飛んでまであちこちに戯言を撒き散らさないよう、おとなしくしていてもらいたいもの、これが新春の願いごとです。

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