♪ 見えた見えたよ 松原越しに
という歌があります。
あの歌は、何を見てそれがどうなのか、丸に十の字の帆が見えて、まさに「それが・・・」なのです。
見たところで何がわかるものでもないのに、見えれば気が済む、ということは多いものです。
♪ 見えて嬉しい花いちもんめ
こんな歌詞はなかったと思いますが。
「この眼で見た、だから間違いない」その見たことが、冤罪や、真犯人の微笑みのもとになる場合があります。
人間がいくら頑張っても、見ることのできる範囲は、宇宙のできごとの一割にも満たないと言う人もいます。
「見る」ということは、ものごとを「確定」できず、ほとんど「暫定」に過ぎないようです。
「見えた」と思ったとたん、その意識の壁に遮られる部分が観えなくなっているかもしれません。
百聞は一見にしかず、百見は一Xにしかず。
Xは、さて何でしょうか。