・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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評論といういうお仕事

2014年11月12日 | つぶやきの壺焼

TVのトーク番組に招かれて連座でその場限りの相当いい加減なことを喋りまくる人を、評論家と呼ぶことがあります。

熟語には、その後につく文字によって、その熟語がもっているいろいろな意味が浮かび上がってくる性質があります。
その見え方は、匂い淡く霞むような朧月夜のように、周辺の解像度がぐんと下がったものになっているものもあります。
評論という言葉もそのひとつです。

評論のつく熟語では、「評論家」が代表の組み上がり熟語になってはいますが、評論社という出版社もあります。
こういう固有名詞には、いわく因縁があるものですが、いわくのはっきりしないのが評論家という言葉で、代表格のほうがおぼろげ度が強く、そこが評論という言葉のむずかしいところであるような気もします。

評論家は、Wikipedia では評論を職業とする者とされていますが、その職業のあり方は、専業、あるいは兼業、混業と、さまざまです。
専業でないものは、かしらの読みが、カ行に集まっているのがまた不思議です。
ケとコはまだよいとして、官業、勤業、勲業となると、論の働きが、自らとは別のところの駆動装置によるものであるような、しかもそれが、近頃はやりのブレーキを踏まずに衝突を避けられるという、最先端技術によって制御されていそうなものに見えてきます。

職業と言ってしまうなら、評論家ではなく評論業のほうが、呼び名としてはおぼろの度合いを低め、匂いもスッキリしそうです。
前に「ご」をつけて丁寧に呼べば、その匂いも色も一層はっきりしてくるでしょう。

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