・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

違い探しと 違い配り

2014年12月30日 | つぶやきの壺焼

CMで「違いがわかる」というキャッチフレーズを、よく聞かされた時期がありました。

それがもう古く感じるようになったのは、違いがわかっても仕方がないと思われるようになったからではないでしょうか。
「違いがわかる、それがなにか」という、よく言えば醒めた気分、悪く言えばしらけ気分もあるかもしれません。

万物に違いはあって当たり前なのですが、違いを全く気にしなくなると、文化の維持に必要な峻別能力が衰えてきます。
海外から来る人はみなお客さまと思ってしまうのも、その現象の一つです。

よたなCMメーカーがよくやる手ですが、会話には使われても正常な日本語でない言葉を、美醜お構いなしに、むしろ醜のほうをわざわざ持ち出してしゃべらせることがあります。
しゃべらせているうちは方言と受け取りますから、サル好きの人が真似をしてみるぐらいですみますが、それを書いて見せたのではもういけません。

あまりにひどいのですぐ消えましたが、「すいません」と書いて見せたCMがありました。
CM信奉者は、CMと報道の区別を差別だと思っているのか、怪しい報道よりもCMのほうが本当らしいと思うのか、「すいません」と書かれたのを見て、それが頭にこびりつきます。
そうなると、わざわざ間違えて見せたほうが本当の言葉と勘違いしたり、あるいはTVの画面に出れば天下に通用する言葉だから使って何が悪いと変な自信を持ったりで、そのときにはもう違いがわからなくなっています。

FAQにも「すいません」と「すみません」はどちらが正しい言葉ですかという質問が出ていました。
質問者の意図はふたとおり想像できますが、これがまた位相の違いが大きいのです。

ひとつは、日本語をよく知らない外国人が、どちらが本当の日本語なのかを知りたいという素朴な質問です。
もうひとつは、質問文に「それでよいのか」と書くのもわざとらしいので、違いがわからないような顔をとりあえずしておいて反応を見ようという方法です。

こういうことの結果がどうであったかには興味がわかないので、探し出してわざわざ見ようとも思っていませんが、違い探しはゲームにはなっても、違い配りは文化衰退の応援になりますからよくないことと思っています。
いかがでしょうか。

にほんブログ村