・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

逆転すると閉じ込められる 奇妙な空間

2014年12月29日 | つぶやきの壺焼

XYとYXの違いはなんですか、という質問が、言葉に関するFAQにときどき現れます。
似たような言葉を並べてみせて、比べる意図を知らせない、愚問に属するものが多いのですが、ごくたまには、そこから何かを見つけ出すことのできるものもあります。

折角の投稿を、なぜその多くが愚問と言うのか、ここでお断りを入れておかなければならないでしょう。
理由は、質問者に「なぜ」の心が何も感じられないからです。
ニックネームの付け方などから見ると、小学生以下とは考えられないような人が、聞いてみたくもないけれどおしゃべりはしたいという、幼稚園児のコレナニ質問と同類のことをしているからです。
愚は愚であるというだけで悪ではありませんから、排斥はできません。
最初はグーというじゃんけんもあるので、仕方のないことではあるのです。


あるとき見たものに、理論と論理の違いは何かというのがありました。
出ていた答はこうです。

理論は、ものごとを説明するため、言葉や数式で組み立てた道具。
論理は、ものごとを、整った筋道で考えたり説明したりする方法。

これだけしか書いてなかったので、「違いはなんですか」の問いには答が出ていないのですが、回答者は、その先は自分で考えろと、わざと書かなかったのかもしれません。
そのやり取りのことはどうでもよいのですが、この回答で見つけたことが一つあります。

論理という説明の方法に、理論が組み入れられることがあります。
ということは、「理論」の文字が逆転して「論理」になると、なった先でそこに閉じ込められてしまう奇妙な空間が形成されそうな気がしたのです。
逆さになると吸い込まれ、出られなくなる、こんなシステムがもし具体化されれば、環境改善に役立つのではないかと思ったのでした。

何だ、ただの言葉遊びではないか、つまらないと思いでしょう。
もちろんそうなのです。
遊びはもともと、している者が面白いので、見ている人はつまらないものなのです。

FAQの愚問発信者は、「それ引っ掛かった」と、自分の遊びに手を叩いているかもしれません。

にほんブログ村