・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

話を面白く聞かせるには

2014年12月09日 | つぶやきの壺焼

二度めの忘年会があった日、往きがけの電車の中で面白い人に出会いました。
5文字9音の長い名前の駅からそそくさと乗り込んできて、ちょうど空いていた前の席に坐ります。
信玄袋に肩帯をつけたような、大きく口の開くかばんを膝に載せ、中を両手で掻き回しています。
何かを探している様子です。
かばんは、大きければ大きいほど、ものがたくさん入りますが、そこに小さなものをヒョッと入れてしまうと、それを見つけるのが大変です。あわてて探せばなお見つかりません。
そのうちに、鳴ってもいないケータイをかばんの脇ポケットから取り出して、ひろげて見てすぐに仕舞いました。
着信がなかったか、あるいは電源を切ったかどうかの確認だったのでしょう。
ケータイを入っていたところに戻すと、また、かばんの掻きまわし作業が始まります。
少し混ぜたそのあと、膝に置いてあったネッカチーフを、クルクルと巻いてかばんに入れました。
また少しかき混ぜたあと、薄手のカーディガンもたたんでかばんに押し込みます。
これで、かばんとは別に持っていたものは格納終了ですが、探索はまだ続きます。
どこまで続けるつもりか、次の駅で止まるまでかと思っていたら、案の定、次の5文字8音のやはり長い名前の駅に着くまで続きました。
やはり止まったらやめそうな気配でした。やめて当たり前、立ちあがって降りて行きました。
その後どうしたかと窓から見ていると、探しものの不安を断ち切りたいのか、上を向き、深呼吸を2回して階段に向かいます。
右手でケータイを取り出しましたが、それを開く前に、かばんが開いてカーディガンがずり落ちます、左手はそれを拾い上げ、顔のあたりにかざすようにしています。
右手にケータイ、左手にカーディガン、半バンザイのような形で階段を降りて行きました。
転ばずに降りきったかどうか、見えたのはそこまででした。

長い話を終いまで聞いても、面白くないのはなぜでしょうか。
話すほうは面白かったことでも、出来事の現場に居合わせない人には面白さは伝わりません。
旅行の土産話が、だいたい面白くないのと同じです。

どんな話でも、落語の名人の口から聞けば、面白おかしく聞こえます。

なぜでしょうか、それは多分、聞く人が話を聞きたいと思っているからでしょう。
話を面白く聞かせるには、聞きたい相手、せめて聞きたいふりをしてくれる相手がいなければならないようです。

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