情報弱者の略で情弱という呼び名がある。
情報弱者にもいろいろある。
いくつか並べると、それは情報弱者とは言わないと理屈をこねる人も出てきそうだが、そんなことは気にせずに置く。
まず、情報の種類別から見ることにする。
・政治情報:生活に関わりがあっても、個人の工夫や努力ではどうにもならないことも含まれる。
・生活情報:国民の生活に一切無関係なことは政治とは考えないことにしておく。
こうしてみると、情報に強いか弱いかは、政治情報に関してということになりそうだ。
為政者が国民を操るには、生活情報の比重を高くして、政治情報へのかかわりを減らしておけばよい。
政治情報へのかかわりが減れば、情報弱者の要素が強まるということだ。
情報の受け入れ度が弱くなれば、政治、とくに国際政治、つまり外交、防衛への関心が弱まる。
そうなれば、国の領土が侵されても、侵略の意図を持った者たちがある街に住み着いて、徐々に勢力と定着力を増していっても、少し離れたところでは、とりあえず収入が増え、穏やかに暮らしていければ何も不自由はないから、関心は寄せなくなる。
こんなふうにして、情報に弱いどころか貧しい情報しか得られない人々、情報貧者、情貧が増えていく。
上品にいきましょうなどと気取っている場合ではない。
政治は国内の面倒が減ってやれやれだが、それが継続されれば、いつしか隣の国の属国扱いにされないとは限らない。
そんな国民に、商売繁盛家内安全には、永遠の保証はないのだ。