・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

【充電が要らない電気自動車】 ~雑楽の時間:21

2015年12月16日 | つぶやきの壺焼

充電が要らない電気自動車というビックリ記事がありました。
充電しない電池は乾電池で、力がなくなれば電池を取り換えなければなりません。
そんなものが自動車に使えるはずはありません。

よく見ると、充電しないのではなく、電力会社から供給される電源にはつながずに、自力で充電するものでした。

ソーラー電源なので、頼りはお天気、雨天曇天の日のためにペダルが付いています。
このペダルは、動力用でなく、充電用です。
充電と呼んだのは、つなぐことで、踏むことを充電とは呼ばなかったのでした。

ペダルをこぐ、電気を起こす、バッテリーを充電する、モーターを回す、何重にも用意されたエネルギー損失放散の機会を、間違いなくとらえることのできる、見事なシステムです。

それから得られるものは、あります、尊い汗です。

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【畑の土は生きもの】 ~雑楽の時間:20

2015年12月15日 | つぶやきの壺焼

放送では、たいしたことでもないのに、いわゆる不適切表現への苦情逃れに、いちいち前もっての言い訳を、なぜしなければならないのでしょうか。

たぶん、視聴者の常識が変質してきているのでしょう。
常識は、野菜に似て、畑で育ちます。
常識が健全に育つには、良い土壌が必要です。
すぐ腐るような常識が出回る気配が見えたら、常識畑の土壌改良をしなければなりません。

消臭剤、漂白剤のたぐいは、土壌改良の役には立ちません。
臭いからとシートなどで覆ってもだめなのです。

土の粒つぶ自体に、良い土壌になろう、旨味のある野菜を育てようという、自己改良の働きが出てくるようにしなければ、畑の土は良くならないのでしょう。
畑全体が生きものなのです。

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【駄苦情という厄介もの】 ~雑楽の時間:19

2015年12月14日 | つぶやきの壺焼

放送で「不適切な表現がありますが、芸術性に鑑み・・・」という言い訳をよく聞きます。
実際には、芸術性には無関係で、聞き流せばどうということのない言葉が入っているだけの場合が多いのです。

先に言い訳をしておくのは、暇を持て余して電話をかけてくる人への応対が大変だからでしょう。
局の人がそれではたまらんと思うなら、三つの装置を置くとよさそうです。
1.お問い合わせ電話の窓口を上質の音声ロボットにして、はじめに「ご用の向きを承ります」と駄苦情とそうでないことをふるい分ける装置
2.駄苦情には「それは常識の範囲内で許されています」とでも返事をさせる装置
3.いつまでも粘られたら、0120から有料回線に切り替わるようにする装置
機械相手なら、元気も根気もいずれしぼんでくるでしょう、いかがでしょうか。

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【合理化病】 ~雑楽の時間:18

2015年12月13日 | つぶやきの壺焼

生活の合理化が進みすぎると、それが病原になるのではないかと、ふと思いました。

人びとの多くは、時間を使わないこと、力を使わないこと、手間をかけないこと、望むのはないないないばかりです。
「ある」「する」という、前向き上向きの心と体の働きとは、すべてが逆向きになります。

音がうるさいといわれて囲いを作る、周りの景色も見えなくなる、空さえも見えない区間が多くなる、そういうところをひた走る、どこか尋常ではないような気がします。


病という字は、体が弾力を失って動けなくなる意味をもっているそうです。
動いている気分になっていても、自分では動いていない、そのことに気付かずにいる、言い表しようのない奇妙さです。

しかし、驚きました、「やまい」と読む漢字が8字もあるとは。

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【贈る時期】 ~雑楽の時間:17

2015年12月12日 | つぶやきの壺焼

頂戴しても早すぎると具合の悪いものと、ギリギリでも困るものがあります。
遅いのは論外でしょう。

早すぎて困りはしないけれども、なんとなくムズ痒いのは年賀状、年末に郵便受けに入っていても、年が明けるまでそこから出さずに待とうという、心やさしい方はごく少ないでしょう。

クリスマスカードは、郵便ならば12月10日から、遅くても12月15日までには届くように出すものだそうです。
年賀状は、お孫さんの写真が賀状になって届いたのは別として、もらっても飾ってはおかないでしょう。
クリスマスカードは、その日まで飾られるものなのだそうです。
飾るものなら早くもらったほうがよいでしょう。
贈る時期も国によって違っていて、ドイツやイギリスでは11月25日からがクリスマスシーズンなので、できれば11月中旬に届くように出したほうがよいという話もあります。

飾るものならば、裏に宛て名を書いてむき出しで郵送するものではなさそうです。
手渡しにしても、封筒からどんなものが出てくるかも楽しみなので、はだかでハイはどうかと思います。

飾ってほしいなら、よほど達筆でない限り、裏にそっと名前を入れておくぐらいが奥ゆかしくてよさそうですが、どんなものでしょうか。
実を言うと、もらったことも贈ったことも、はっきり記憶に残っていないので、よくわからないのですが。

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【誤差の超越】 ~雑楽の時間:16

2015年12月11日 | つぶやきの壺焼

聞き込みでは損失10兆円と言われていた金額が、正式の報告では8兆円弱になるとすれば、その差は、もう通常考えられる誤差の範囲を超越しています。

10兆円というのは、年金積立金管理運用について、ある政党が、所管の厚労省年金局から聞き出して発表した金額です。
聞き出すといっても、酒場に連れ込んで酔わせてしゃべらせたのではありません。
あらためてヒアリングと称する席を設けて情報聴取をしたときに、担当官から出た金額です。

8兆円は、年金積立金管理運用独立行政法人の文書発表金額です。

10兆円が知らされたのは10月21日、8兆円の発表は11月30日、40日の間に2兆円を取り戻せたのでしょうか。
そんなはずはありません、その金額は7~9月の間に生じた過去の実績なのですから。

ヒアリングでは、聞くほうが喜びそうな金額、正式発表では、いくらなんでも2桁はひどすぎると抑えた金額、もしそうであるとしたら、どちらも嘘ということになります。

ことによると、これは誤差の範囲どころか、時を超越し、善悪も超越した、崇高な神のお告げのようなことなのかもしれません。

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【大丈夫なのか】 ~雑楽の時間:15

2015年12月10日 | つぶやきの壺焼

ここのところ、年金のことがマスメディアの話題に取り上げられなくなっています。

ある時期に騒がれて、その後、話題にならない場合に、その状況にはふたとおりのことが考えられます。
1.話題にするような心配ごとがなく、安心していられる。
2.話題にされると大騒ぎになって、何かと都合が悪い。

日本の公的年金のうち、厚生年金と国民年金の積立金の管理・運用は、「年金積立金管理運用独立行政法人」というところが行っています。

そこから出された、今年度第2四半期の運用状況の報告によると、この3ヶ月間に8兆円に近い運用損失が出ています。

消費税を2%上げたいけれども、その上げ方をどうするかと、細かいところでごちゃごちゃ話し合いをしていることが伝えられますが、この2%は全部でどのくらいの金額になるのでしょうか。

平成27年度一般会計の歳入予算総額は 96兆3,420億円、そのうち消費税は 17兆1,120億円が見込まれています。
いま税率8%で 17兆1,120億円ですから、問題にしている2%は、およそ4兆円になります。

この金額と、運用がうまくいかず、そのうちなんとかと思っているうちに、3カ月で消えてしまった8兆円、比べてみてください。
ふところが違うというのは、言い訳にはならないでしょう。

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【混ぜ合わせ不可】 ~雑楽の時間:14

2015年12月09日 | つぶやきの壺焼

混ぜ合わせると危いものには、家庭用品品質表示法にもとづいた危険表示がされています。

こういう表示を見慣れてくると、危険だから表示しているものを、表示されているから危険なのだと思ってしまいます。
そうなると、表示されていなければ危険ではないはず、もし危険なものや危ないところに表示がなければ、表示しないことが大悪だと考えてしまいます。

表示するほうは、使う人の失敗が苦情に化けて押し寄せないことを願ってわかりやすい表示を考え、使うほうは、表示を頼りにしはじめます。
そして、表示へのお互いの信頼感が育ち、それが依頼心に変わっていきます。
長い間には、なぜ危ないのか、結果がどうなるのか、自分で考えたり確かめたりすることで身に付く常識が、だんだんかすれていきます。


目的と手段、これを混ぜ合わせると、長い間に危険な要素がたまってきますが、その危険はどこにも表示されないので、人びとはなかなか気づきません。
手段であることが、それが目的であるかのように扱われると、いつかどこかで気づかない間違いが起きます。
平和、安全、こういうことも、目的と手段の混ぜ合わせが、人間の感覚をぼやけさせます。
それが、目に見えない危険になってくるのです。

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【単純な原理】 ~雑楽の時間:13

2015年12月08日 | つぶやきの壺焼

泥棒市に成功する要領は、早朝に開店することだそうです。
元の持ち主に見つかる前に売ってしまえばOKというわけです。

疾病が見つかる前に、見つかる状況に陥る前に、見つからないで済むようであれば、それこそ健康体なのでしょう。

見つかる前がだいじということは、さまざまなことに言えそうです。
悪事にも、健康の維持にも、奇妙なところで共通の、単純な原理です。

3代の社長が、見つかる前に手を打たなかったので、おかしくなってしまった超大企業もあります。

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【冷凍保存器がほしい】 ~雑楽の時間:12

2015年12月07日 | つぶやきの壺焼

秋になるといつも思います。
落ち葉の色を、そのまま失わずに保存できないものかと。

生花と落葉、その色をそのままに保てるような特殊冷凍保存器ができないのはなぜでしょうか。
たぶん人間の命にかかわることでないからでしょう。

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【仮説はどこから生まれるか】 ~雑楽の時間:11

2015年12月06日 | つぶやきの壺焼

何かに取り組もうとするとき、そのときに考えられる仮の結論を先に立てて考える方法を仮説思考と呼んでいるそうです。

仮の結論は、それを出しておこうとする人が望んでいる方向で考え出されます。
望みと違うことに向かう仮説は、はじめから、あるいは途中でこれはだめだと気がついて、除外されるでしょう。

仮説というものは、どうやら自分に都合のよい考え方を言い表したものということになりそうです。
つまり「仮説は自説の解明から生まれる」のです。

ものごとの説明は、ほとんど自説の解明です。
それをざわざわ求めようとするときには、そのことに賛成か、反対か、あるいは何らかの興味があるということになります。
いずれにしても、その説にかかわりをもたされているわけです。

説明責任を果たせという、もっともらしい注文の付け方は、知らずしらずに、唱えられた説にはまり込んでいるという、愚かしいことのようにも思えてきます。

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【日没点灯】 ~雑楽の時間:10

2015年12月05日 | つぶやきの壺焼

日没時にヘッドライトを自動点灯する装置を、どの車にもつけるよう義務付けることが検討されていると聞きました。

日没点灯は、相手を照らして自分が見るための点灯ではなく、自分の車が走っていることを知ってもらうための点灯ですから、あまり煌々と照らさないよう、装置の設計仕様を整える義務まで含めた法令整備を望んでいます。

自動点灯装置に、道路の幅などの走行条件を判別させることは、簡単にはできないでしょう。
狭い道路で正面方向から上向きライトをむやみに照らされたのではたまりません。

周囲が暗くなるまではヘッドライトが上向きにならなくすること、これをどうぞお忘れなく。

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【選択可能社会を】 ~雑楽の時間:9

2015年12月04日 | つぶやきの壺焼

某県の方や総務と名のつく部課の方には失礼しますが、総という文字は、ひっくるめてという感じを持っています。

そうそう、総がかり、総動員という忙しさ、総崩れ、総退却というなさけなさの表現もあって、明暗ともども何とはなしにあまりよい思いが湧きません。

総括X社会より、選択可能社会のほうが、人間らしくてよさそうに思うのですが、どんなものでしょうか。

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【ソウカツヤクシャカイ】 ~雑楽の時間:8

2015年12月03日 | つぶやきの壺焼

一億ソウカツヤクシャカイには、こんな漢字をあてることもできそうです。

一億総括役者会
これは、みんなそろって役者になりましょうという会です。
国際社会に出て、日本はこれでいくというはっきりした姿を演じ切る役者が少なすぎるので、そういう人を育てようという企てです。

もうひとつあります。
一億総括役社会
これは、だれもがものごとを総括できる力を持った社会をつくろうということです。
日本には、個性を発揮するまでいかずに、自分の穴に潜り込むか、あるいはなにもせずに穴からほじり出されるのをただ待っている人が多くなってしまったので、総括して見る目と心を養おうという企てです。

ちょっと間違うと、何かのフリをするだけの役者崩れや、手を出さずに見ているだけの腕組み総括さんを増やすおそれもあります。
活動の核と環境をつくるときに気をつけなければなりません。

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【講習会で頑固はなおらない】 ~雑楽の時間:7

2015年12月02日 | つぶやきの壺焼

交通事故の死者は、統計をみると減少傾向にありますが、高齢者の交通事故死は減っていません。
これには、高齢者が起こした事故も遭遇した事故も入っていると思いますが、交通事情と高齢者の行動がうまく適合していないことは間違いないでしょう。

運転免許更新のとき、あるいは違反者には、安全運転講習が行われています。
はたして、この安全運転講習で高齢者の交通事故は減るのでしょうか。

高齢者には頑固者が多く、この頑固さが、困ったことに一定の交通事故率維持に貢献しているのでしょう。
頑固さは、ふたとおりの型の意識になって、効果を発揮します。
1.ハンドルを握れば、運転技術への自信を持ち続ける
2.歩きはじめれば、歩行者優先の確信を決して捨てない

まっすぐ速足で歩けなくなったから車で行こう、まだまだ運転は巧いのだから、冗談ではありませんが、こういう方が案外多いのではないでしょうか。

講習会で何を聞いても見ても、自分の弱点や衰えは感じとれません。
事故は減らないのです。
平和の説教で戦争がなくならないのと、どこか似ています。

頑固に効く薬はないものでしょうか。

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